
難病になった恩恵は「人に優しくなれたこと」だと思う
2019年9月に僕は「ベーチェット病」という難病にかかった。
事実を受け入れることに多少の時間が掛かり、時に人生に絶望した日々もあった。
でも難病になったことで、僕は人に優しくなれた。だから難病になったことは辛いことばかりではなかったんだよ。
難病は一度立ち止まって自分を省みるそんなきっかけだった
難病になったことを考えると、「不運だな」って思ってしまう日もある。でも多分難病になったことは、自分の人生を見つめ直せよっていう神様からのお告げだったのかもしれない。
ちなみに僕は神様とかよくわからないし、そういう主義者でもない。
目が見えない経験をした。目の前がもやでいっぱいになり、PCの矢印のマークすら見えなくなってしまっていた。だからnote毎日更新をお休みし、紙のノートに自分の思いをこれでもかと書き殴っていた。
人には見せられない愚痴も弱音も書いた。書くことで自分の痛みを少しだけ解消できているそんな気がして。
目が見えないから1人じゃ外を歩けず、誰かがいなければ自分の生活すらもままならない状態。とても苦しかった。目が見えることのありがたさをこれでもかと思い知らされた。
そんな生活が最悪だったかと問われると、確かに不便なことが多かったけど、素敵なことにもたくさん巡り合ったから、嫌なことばかりではなかったと答える。
人の優しさ、痛みを知ることで、大きなことを掴んだ
人の優しさを知った。人の痛みを知った。自分にも他人にも優しくなろうって思えた。
これでもかと言わんばかりに誰かに支えてもらっていた。
僕の昔の話を少しだけ。
僕の家庭は裕福な家庭ではなかった。高校生の頃からお金の支援を受けたことはなかった。でも不幸せかだったかと問われると、そうでもなくて、戻りたいかと問われると、それは絶対に嫌だと答える。
大学の入学金も授業料も自分で支払い、生活費もほぼほぼ自分持ちだった。アルバイト漬けの毎日。そんな中母が癌になり、治療費が必要となったから、工場現場で働いたり、アルバイトでの給料を家に入れていた。
働くことで自分の生活を守り、お金だけが人生を豊かにすると本気でそう信じていた。
「自分のことは自分でやる」
1人で乗り越えた経験が多すぎて、自分で乗り越えることが当たり前だったから、「助けて」の一言が言えない自分が形成されていた。辛いことがあっても自分で消化した。誰かに自分のことで迷惑を掛けたくなかった。嫌われたくなかった。
難病になった恩恵は間違いなく「人に優しくなれたこと」
難病になって悠長なことを言ってられない状態になってしまった。いろんな人に「助けて」と声を大にして叫んでみる。「誰も助けてくれなかったどうしよう」と不安で胸がいっぱいだった。
すると思ったよりも僕の周りの人たちは温かくて、食事の支援や金銭面での支援。生活の支援などたくさんの親切を僕は受け取った。
誰かに優しくしてもらった分以上の親切を僕は誰かにしてあげたい。してあげたいって傲慢だなって思われるかもだけど、それでも僕は優しい人であり続けたいし、今一緒にいる人を大切にしたい。
優しさの対象が自分なのか他人なのかはわからないし、その時々で変わってくるけど、「優しい人」であろうって難病になってから強くそう感じた。
親切にすること。優しくあること。笑顔でいること。
でも優しさと甘えは違うから、そこのバランスをうまく取れますようにと。
これからもいろんな人に助けてもらうことでしょう。助けたもらったらその分感謝して、誰かに自分がしてもらった優しさを還元していく。
難病になった恩恵は間違いなく「人に優しくなれたこと」。
笑顔もイライラも全て周りに伝染してしまうから
些細なことでイライラしていた自分がどこかに行ってしまった。
人は自分の思い通りにはならない。当たり前のことだけど、人は他人を自分の思うようにコントロールしたがる。でもそれは無理なことだから、いっそのこと予想外も楽しんでみる。
誰かに自分の期待を裏切られた時は、思い通りにならないということを思い返す。
イライラしているとそれが周りに伝染してしまう。イライラしているのを見るのは楽しくないし、周りに伝染すると些細なことでトラブルが起きてしまう。
感情が伝染するなら笑顔を伝染しよう。イライラするよりも楽しくやれる方法を模索してみよう。
笑うことが増えた。イライラすることが減った。他人に優しくなれた。
「今の顔の方がいいよ」って言ってもらえることが増えたのは自分で意識して過ごしているからだと思う。
怒りに感情を使うなら、どうやったら笑顔でいることができるかを考えてみる。そうすることで、人生を豊かにしていくことができるはずだから
人に優しく、自分にも優しく。
優しい人たちで溢れた素敵な社会を自分から作っていこう。
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