泣いた分だけ強くなれると思っていた
嫌なことが起きたときに、笑って誤魔化す癖があった。人に心配をかけまいと、しなくていい遠慮ばかりしては、限界が来た途端に、夜中の河川敷で1人涙を流していた。
「涙の数だけ強くなれるよ」と、岡本真夜は歌う。その言葉が事実だったならば、どれだけ良かっただろう。涙を流すだけで強くなれるのならば、たくさん流した涙で、どれほどの強さを身に付けたのだろう。
涙を流しただけでは変わらないし、状況も変わらない。そんな周知の事実を知りながらも岡本真夜の言葉を信じている自分がいた。
学生時代はずっとお金に困っていた。
「同情するなら金をくれ」
その言葉がずっと頭の片隅に残っていた。相談したところで解決には至らない。誰もが自分ができる範囲の手助けしかできなくて、僕が抱える問題は僕自身が解決する必要がある。
心の中を探すように、ポケットを探る。出てきたのは小銭で自販機のホットドリンクを買える程度だった。ココアを購入する。体は温まるけれど、心までは温まらない。
泣きたいときは泣けばいい。言葉で言うのは簡単である。でも、涙を見せられる人と絶対に見せたくない人がいて、誰の前でも涙を流せるわけではない。涙を見せたくない人に触れられたくないところに触れられるのはいつだって気持ち悪い。嫌な思い出がフラッシュバックしては、涙を流す自分に嫌気が差す。
ずっと我慢をしてしまう癖がある。言いたいことを言えず、自分の胸の中にしまい込む。その繰り返しの中で、いつの日か糸がポツリと切れる。泣きたくないのに涙が出る。
ある日、河川敷で声を出して泣いた。状況はなにも変わらず、心だけがどんどん弱くなっていく。でも涙を流したことがきっかけで、自分の中のなにかが弾けた。
暗いトンネルの中に差し込んだ一縷の光に縋るように前に進む。それでもなお状況は変わらない。進んだのは時間だけ。状況は変わらないのに、前を向いている自分がいた。
涙を流すだけでは強くなれない。涙を流したあとに前を向く。その姿勢が強さに変わるのだ。その事実を知って、涙を流すのも悪くないと思えた。泣きたいときに泣けばいい。それはきっと前を向くためのきっかけになるはずだ。一歩ずつ前に進む。それでいい。それがいつか誰にも奪えない自分だけの強さになる。