
「泣いてもいいんだよ」を届けるために文章を書いている
「なんで文章を書いているんだっけ?」
昨日から目の手術のため病院に入院している。消灯は22時。普段は0時ぐらいに寝るため、まだ睡魔はやって来ない。どうしたものかと困っていると、この言葉が頭の中に急に浮かんできた。
深夜と考え事の相性はとにかく悪いことは有名なお話。そもそも深夜の考え事はネガティブなものが多い。考え事が解決に至れば問題はないけれど、さらにどん底まで落ちてしまう可能性だってある。睡眠時間が削られるだけでなく、心も削られる。上記の点を踏まえると、やはり深夜の考え事は禁止した方が賢明なんだろう。
それに加え、考え事が少し前向きになったところで、マイナスから0地点に戻るだけで、プラスにはならない。いわば恋人のLINEを勝手に見て、落ち込んだり、安堵したりするそれに似ている。無論、恋人のLINEを見るなど言語同断である。とはいえ、ダメだとわかりながらも、ダメなことをしてしまうのが人間の性だ。
さて、なぜ文章を書いているのだろうか。明かりの灯らないベッドで横たわりながら想いを馳せる。胸に手を当てながら天井を見つめていると、4人いるはずの部屋に物音がひとつもない事実に気づいた。
文章を書いている理由を知るためには、過去を遡る必要がある。ちなみに僕が文章を書くきっかけは学生時代だ。最初は小学校時代に書いた読書感想文が、校内最優秀賞を受賞したその嬉しさから文章を書き始めた。その次に中学時代に友人たちとブログを書いて、くだらなねぁなとか言いながら楽しんでいた。そこから高校時代もブログを書き、大学に入ってからはブログを書かなくなった。
ブログを書かなくなった理由は、周りにブログを書いている人がいなかったためである。楽しむために始めたものは一緒に楽しむ人がいなければ、それをやっている意味がない。だからやめた。いまならぞれが野暮な行為だと理解しているけれど、当時は若かったんだと思う。いつしか文章から離れる生活が当たり前になって、家族を養うために、ずっと仕事をしていた。
大学生と言えば、人生の最後の夏休みとよく言われている。本音を言えば 僕も周りの大学生と同じように遊びたかった。自身が遊びを我慢して、仕事をしている一方で、周りの大学生たちは遊び呆けている。楽しみたいけれど楽しめない。苦しいけれど苦しいと言えない。泣きたいけれど泣けない。誰かに伝えたいけれど伝えられない。そんな悪循環の中を生きていた。
本音を話さず心を隠せば、この感情は誰にもバレない。本当は知って欲しいくせに、知ってもらいたくないみたいな矛盾。そんな思いをすぐに割れそうな透明なガラスの中にそっと閉じ込めて蓋を閉じる。そして、目の前の仕事を淡々とこなす日々。周りには笑顔を振りまきながら悩みすらなかったことにした。
ある日、「誰にも打ち明けられない悩みは紙に書けばいい」という情報をどこかで偶然耳にした。そうか、紙に書けば誰にもバレないんだ。それを知った瞬間に。藁にもすがる思いで近くのコンビニに1冊のノートを買いに行っていた。悩みができたらノートに書く。それはいまでもずっと続いている習慣であり、今年に入って10年目になった。
さて、僕が文章を書いている理由は一体なんなのだろうか?
その答えは「泣いてもいいんだよ」と知ってもらうためである。
過去の自分のように「泣きたくても泣けない」と悩んでいる人はきっと多いはずだ。泣いてもいい。ただそれだけを伝えるために、僕は文章を書いている。
落ちるときはとことんまで落ちればいいし、落ちるところまで落ちればあとは這い上がるしかない。これまでに這い上がった過去があるならきっと大丈夫だし、這い上がった過去がないのであれば、「自分は絶対に這い上がれる」と自分を信じてあげればいい。大丈夫。あなたの苦しみは絶対に無駄にはならず、幸せの伏線としてちゃんと回収される。その事実を知ってもらうために、僕は文章を書いているのだ。
紙のノートに悩みを書いて、自身が救われた。悩みを書くだけでなく、当時自分が誰かにかけて欲しかった言葉もそこに書いた。その言葉が「泣いてもいいんだよ」である。本音を言えば、誰かからこの言葉が貰いたかった。でも、貰えなかったから自分で紙のノートに書いた。そして、その言葉に救われて、我慢が限界を達したときは河川敷で人目を憚らず大泣きした。
いつもヘラヘラしているからあいつには悩みなんてないんだろう。
周りからはそう思われていたのかもしれない。でも、誰かに共有したところで、本当の悲しみは本人にしかわからない。わかったとしてもほんの上澄みを掬った程度なんだろう。悩みの渦中は自分が世界の中心になって、視野が狭くなってしまう。でも、悩みとちゃんと向き合っている人はもれなく全員えらい。そんな自分を認めつつ、ときに憎みながら少しずつ前に進めばいい。
「泣いてもいいんだよ」
ただそれだけを知ってもらうために文章を書いている。ときには涙を堪える日もあるでしょう。でも、大丈夫。「泣いてもいいんだよ」とあなたに言い続ける奴がここにはずっといるからさ。泣きたくなったら僕の文章を読みにきて思いっきり泣いたらいいんだよ。
文章にずっと助けられてきた。そして、これから先も文章に助けられる自信しかない。僕が文章を読み書きして救われたように、誰かの心をやさしく撫でられる文章をいつまでも書いていたい。僕と同じように自分の思いを誰にも打ち明けられずに、苦しんでいる人はきっと多いはず。そんな人たちに「泣いてもいいんだよ」が届けば嬉しいな。
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