時には無責任なポジティブも必要なのかもしれない
なんだかうまくいかない日々ばかりを過ごしている。振り返ると、人生でうまくいったことなんてほとんどなかった。失敗という屍を積み重ねて、束の間の成功を手にする。これはうまくいくかもと気を緩めた途端に、手元からスルリと成功が抜け落ちていく。それの繰り返しをずっと生きていて、きっとこの先も同じ生き方をしていくのだろう。
たまに「人間向いてない」と思う日がある。うまくいっている人を見るたびに「この人は人生何度目なんだろう」と思って、相手を別の世界の人間だと認識してしまう。彼らはきっと前世で度重なる失敗を積み重ねて、来世では同じ失敗を繰り返さないと誓った人に違いない。それが功を奏したのか、今世でうまくいっているのだろう。そんなことばかりが頭に思い浮かぶ。
サッカー選手の夢を諦めたこと、教員にならなかったこと、会社員になって所属された部署で1番になれなかったこと、文章を書きはじめて何度も書けないと頭を悩ませたこと。初めてのディレクションで先方で迷惑をかけたこと。日常生活のほんの些細な失敗。もちろん取り返しのつかない大きな失敗もしたことがある。
すべての失敗に共通して言えることがあるとするならば、どんなことをやっても上にが上がいたことである。「井の中の蛙、大海を知らず」は、まさに自身を指すのにうってつけの言葉だ。でも、この言葉には「されど空の深さ(青さ)を知る」という続きがあって、大海と呼ばれる失敗の辛さを知ったからこそ、そこからどうやって這い上がるかを考えるきっかけになったのも事実だ。
とにかく失敗ばかりを経験してきた。裏を返せば、たくさんの数の挑戦をしてきた証拠でもある。何度諦めようと、屈することなく立ち上がって、新しい何かに挑戦し続けてきた。成功よりも失敗の数の方が圧倒的に多いけれど、うまくいかないと試行錯誤している自分を最近は好きになってきたような気がする。悩んでもいい。それが自分のためになるなら。時間をかければいい。それがより良い未来につながるのなら。頑張っている人が好きだ。その中には自分も含まれている。好きな自分で居続けるために頑張っているのも事実だ。常に頑張りたい何かがあって、そこに向かって走る馬力があるのはは幸せな証拠でもある。
自分を誇れる人であり続けることは容易ではない。頑張っている自分を好きになれる人生は悪くないと思うし、この先も好きでいるために努力を惜しまないつもりだ。これまでになんとかならなかったことは1回もない。今回もどうせなんとかなる。いっそ無責任なポジティブでこの先も生きていこうと思う。