思考を淡々と野晒しにする
自分にとってnoteは自分の思考をアウトプットする場でもある。淡々と思考を言語化し、自分の言葉で表現していく。1年前と比べると、言語化能力はきっと上がったはずだ。
毎日更新は自分の考えを言語化する練習にもなっているし、物事を考える習慣もついた。
「人間は考える葦である」
これはパスカルの言葉である。人は自分で考え、自分の言葉で相手に物事を伝えることができるのだ。自分はこの特権を、フルに活用したいと思っている。でも思ったよりも、自分の考えを相手に伝えるのは難しい。
思ってもない方向で相手に伝わっている場合が多いし、伝えたいことが3/1も伝わっていない場合も多い。
だからこそ日々思考を繰り返し、自分の考えを言語化する。そして、言語化の粒度を上げていく。言語化能力は、即席では身に付けられない。日々の鍛錬を、淡々と積み重ねる必要があるのだ。
それでも伝えたいことが伝わらない場合は、伝わるまで相手と対話を重ねる。対話の繰り返しによって、自分の伝えたい思いの粒度を、少しずつ上げていくしかない。
noteは、自分の思考の粒度を上げる場だと捉えている。でもわざわざアウトプットしたものを、公の場で公表する必要がないのは確かだ。
確かに思考の野晒しは、自分の頭の中をさらけ出しているようで、なんだか少し恥ずかしくなってしまうときがある。でも思考を野晒しにする行為は、自分がどんな人間かを知ってもらうには、ちょうどいい機会になっているのは間違いない。
自分の説明をするときに、相手にnoteを読んでもらえば、どんな人間かわかってもらえるはずだ。考えに共感してもらえた場合は、仲良くなれるかもしれないしね。
逆に「何言ってんだこいつ」ってなれば、お互いにフィルタを事前に掛けられる。人間には相性があるし、相性が合わないならそれはご縁がなかっただけのお話。
悲観的になる必要もないし、むしろラッキーだと思うべきである。出来るだけ自分が居心地の良い環境を、形成していたいから事前にフィルタを掛ける行為は、かなり有効な手段。
これからも自分は、淡々と自分の思考を野晒しにしていくつもりだ。そして、同じような考えを持った方と、仲良くなれたら嬉しいな。