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何かが始まって、終わるという必然の中で
何かが始まったと同時に終わりが顔を出す。それが心躍るものだったらどれほど嬉しいのだろうか。終わりが来るという必然を頭でわかっているつもりでも、その瞬間はいつまでたっても慣れないものだ。終わりを迎えるたびに、儚い気持ちになるし、もう少し何かできたのかなと後悔の気持ちに襲われる。
あと少しで1900日目を迎える毎日更新もいつかは終わってしまうのだろう。終わりを迎えた瞬間にどんな感情が芽生えるかはわからないけれど、後悔ではなく納得に近い感情が生まれると確信している。毎日文章を書き続ける日々の中で、少しずつ自己理解が進んできた。感情が揺れ動いた瞬間について、なぜその感情が芽生えたのかを一つずつ丁寧に紐解いていく。その作業の繰り返しは容易ではない。時に逃げ出したくもなる。それでも毎日継続できているのは、自身との約束を果たすためだ。人を裏切ってはならない。そこには自分も含まれている。毎日更新を続けるという自分との約束を守るために、今日も今日とて文章を書いているのだ。
いつか終わりを迎えれば、また何かが始まるのはわかっている。これから始まるものに期待を膨らませられればそれで良いんだけど、何が始まるかは実際に出会ってみなければわからないものだ。終わらせるために始まるのが儚いし、なぜ終わりを迎えるのかが不思議でならない。ずっと続けば良いのにって願うものからいつも終わっていくから神様は少しだけ意地悪なのかもしれない。
どんな物事も、永遠に続かないのはわかっている。でも過去は永遠に残るから、永遠とはなんだ?といつも考えるんだけど、答えは出てこないままだ。終わりを迎える瞬間は、走馬灯のように今までの思い出が脳内を駆け巡る。楽しい思い出や悲しい思い出、どんな思い出もなぜか終わりを迎える前は全て美しく見えてしまうのはなぜだろうか。すでに終わってしまったものは、思い出として頭の片隅に残しておくことでしか報われることはない。報われない思いがあるのは少し寂しいような気がするから、すべての終わりを噛み締められる人間でありたいってのが本音だ。
物事が永遠に続くのであれば、僕たちはきっと目の前の対象を大事に思えないだろう。終わりがあるから愛せるし、嫌いにもなれる。だから終わりを悲観的に捉えるのではなく、前を向くための前進だと捉えるようにしていたい。終わりはいつも『寂しさ』を連れてやってくるから、いつまでたっても慣れないし、この『寂しさ』とはこれから先なんども出会うのであろう。でも、終わりは何かを意味するものだから、終わりをきちんと愛せるそんな人間でありたいね。
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