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5年間、毎日noteを書いて気づいたこと

1年以上ぶりに京都へ足を運んだ。事前に行きたいお店の目星はつけていたけれど、ほとんどのお店がお休みだった。古着屋さんは秋物入荷、喫茶店は夏休みを取っていた。事前に食べログやGoogleマップで休日を調べるだけでは、情報が足りないと痛感した1日でもあった。

この事態を避けるには、お店のインスタグラムやHPを事前に確認しておく必要があるのだけれど、それほど入念に準備をするほどでもないと思い込んでいた。それが今回の敗因である。仕事も同じだ。どれだけ入念に準備するかで仕上がるものの質が変わる。ほとんどの失敗の要因は準備不足によるものだ。だが、めんどくさいという壁を取り払うのは容易ではない。その壁に打ち勝ち続ける人は本当にかっこいいと思う。

今回は食べログやGoogleマップの情報だけを鵜呑みした結果がこのざまだ。京都が自分を受け入れていなかった。自責ではなく、他責にすることで、少しだけ心が楽になる。次回こそはきっと受け入れられるに違いない。そう思えば思うほどに、現実逃避をする己の首が見えない何かに絞められていく感覚に陥る。

失敗を積み重ねる日々の中で、どうやら毎日更新の継続が5年経っていたらしい。その事実に気がついたのは5年から1ヶ月が過ぎてからのことだった。5年間毎日欠かさず文章を書き続ける日々を過ごしてきた。俯瞰的に考えると、この行動がいかに狂気的であるかがわかる。毎日文章について考えてきた。書くリズムもある程度安定するかと思いはしたものの、いまだに仕事の量に翻弄されながら書く時間を確保している。

毎日更新をやめたいと思った数はもはや数えきれないけれど、続けたいと思う数よりも少ないのは確かだ。仕事に繋がっているわけでもなければ、注目記事にピックアップされるわけでもない。それでもやめないのは、思い出を振り返る機会として機能している場合もあれば、悩みを因数分解して解決法を見つける機会も多いためだ。

毎日更新は自分との対話の連続である。自身の心の内にある感情を言葉に変換して、それを通じて己を知っていく。それが悩みの解決に繋がるきっかけになる場合もあれば、一歩踏みだす勇気に変わる場合もある。

正直、5年間の毎日更新は誰でもできることだと思う。すごいねと言われる機会もあるけれど、定期的にたくさん読まれる文章を書くことができているあなたの方がよっぽどすごいよと言い返したくなる。頭の中に思いついたものをただnoteに書き連ねているだけで、いつの間にか5年間の毎日更新という結果が生まれたに過ぎない。

誰でもできるけれど、誰もができることではないことをやり遂げた。その事実は自身の誇りであり、自身を支える柱となる。今は手放しで自分を褒めてあげたい。人生はシンプルでやるかやらないかだ。できないと思っているのは自分自身に過ぎない。自分の中に浮かび上がるできないという感情の枷の外し方を知ることで、空を自由に羽ばたく鳥のようにどこにだって行くことができる。

毎日更新はこれからも続いていく。いつ終わるのかはわからないけれど、終わらせるときは、自身の意思で終わらせたい。いつも読んでくださっている方、本当にありがとうございます。これからも読んで良かったと思ってもらえる文章を書けるよう努力をしていくので、引き続きよろしくお願いいたします。

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