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生乾きだった後悔が乾く瞬間に

人間は死ぬ前に必ずやりたかったことをやらずに死ぬことに後悔すると聞いた。後悔は少なければ少ない方がいい。と、誰もが思っているはずだ。それでも後悔のない人生なんて歩めないとも知っている。それならば、どのように後悔を減らすかが肝となる。

どんな経験も自分にとって必要なものだと思っているため、後悔はあれど、それほど多くない方だ。生乾きだった後悔をきちんと乾かすことによって、納得へと昇華させたためだ。後悔を別のベクトルへと進ませ、生まれて良かったに繋げていく人生の繰り返しである。

それでも後悔はありますか?と問われれば、1つをないとは言い切れない。学生時代に周りの友人たちと同じように遊べなかったこと、留学に行けなかったこと、サッカー選手を諦めたこと。数えればキリがないほどの数多の後悔が自身の人生を取り巻いている。とはいえ、今の人生には満足していて、それはきっと好きな文章に携わることができたからなのだろう。

大学時代にたくさん遊んでいたら。留学に行っていたら。サッカー選手になっていたら。ありえないもしもが煌めきを取り戻していたら。一体どうなっていたのだろうか。答えは今の人生とはまったく違った新しい出会いが待っていたはずだ。現状文章がない人生は考えられないと思っていて、パズルの一欠片が欠けていたら、かつてできなかったと後悔した日々の連続がなかったら、今の自分はこの世界に存在しないと言っても過言ではない。

振り返ると、自身の人生と向き合うばかりの人生だった。20歳のときに始めた「年齢ノート」には年齢ごとの自身の世界観がたくさん綴られている。27歳からはnoteの毎日更新で人生についてエッセイやコラムにしてきた。

いいことも悪いことも余すことなく味わって、文章に残し続けてきた。その結果が数多の生乾きだった後悔を乾かし、納得感へと繋げていったのだろう。

自身と向き合わずに生きることは非常に簡単だ。向き合わない時間が長ければ長いほどに、いつか訪れる絶望感へのダメージが大きくなる。その事実を知ったきっかけは、他人の後悔に苛まれる瞬間をたくさん見てきたからである。歴史から学べとはまさにこのことで、後悔だらけの人生を過ごしたくないと行動を起こした結果が功を奏した。

後悔のない人生なんて歩めない。それでも生乾きだった後悔がいつか乾いて、納得へと昇華する瞬間を味わっていたい。そのためには、自分のことをきちんと知る必要がある。指針がない人生は、目的地がない航海に出るようなものだ。どこに進めばいいかもわからない。いい波と遭遇したときに、波に乗ることさえできずに、ただ飲まれていくだけ。そして、後悔の数が徐々に増えて、すべての後悔が生乾きのまま人生を終えるかもしれない。

死ぬ前に後悔はありますか?と問われたときに、後悔の数に絶望しないように、これからの生き方について日々模索する人生を歩んでいこう。

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サトウリョウタ@毎日更新の人
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