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カーリングのロコ・ソラーレ藤沢五月さんの言葉に感銘を受けました。

「勝つことが目標ではなく、成長することが目標なんです」


これはアスリートとして勝ち続けるための言葉です。しかしこの言葉は私たち一般人にも言えることなのではないでしょうか。

80歳を過ぎてもフルマラソンに挑戦し続ける人がいます。山登りやテニスだって、ずっと続けている人はたくさんいます。スポーツに限らず、絵を描いたり編み物をされている高齢者は、いっぱいいらっしゃいます。

それなのに、無気力、無関心になっていく高齢者も多いです。その差は何なのでしょう?

やり続けることより、始めることが大切


環境や金銭的余裕などによっての違いはあると思います。趣味があっても高齢になるとやる気がなくなるのはとても悲しいです。「50の手習い」という言葉がありますが、現代に当てはめると「70の手習い」でもいいんじゃないかと思います。昔と違って、70歳でも若々しい人が多いですから。


やりたいんだったら、やればいい。

やめたくなったら、やめればいい。

なぜ、続けなければならないのか?

なぜ、やめてはいけないのか?


子供の頃、何かをやりたいと親にせがんだ時、必ず言われました。

「続けられるの?」
「どうせ、続かないんじゃないの?」

最初から続かないと決めつけられた言葉です。

親にしてみれば、わざとネガティブな言葉を出すことで、本気度を試していたのか、あるいは違う策略があってのことか、私には分かりません。ただ、そのように言われて育つと、大人になってから新しいことを始めようとする時、尻込みしていました。子供の頃は、何一つやり通したことがなかったから、大人になっても長続きしないと考えてしまいます。

挫折から生まれる


反発心が出てこないと、始めることはできないし、続けることもできません。その気持ちはどこからやってくるのか、人によって違いはあるでしょう。しかしほとんどの場合、挫折から生まれると私は思います。挫折して落ち込んで塞ぎ込んで、生きる気力を失って、そこからどう這い上がれるかで変わると考えます。

大人は、嫌になったらやめればいい。でもまた何か新しいことを始めることが必要だと思います。気軽にホイホイと移り気でいいんじゃないでしょうか。

マンネリ化が趣味を阻害する


私の勝手な考えですが、高齢者になって気力がなくなる人は、新しい挑戦をしていない人ではないかと思うのです。

例えばテニスを何十年とやっていたとしましょう。それがある日からやる気がパタッと無くなった。そんな話はよくあります。それはテニスをやっているといっても、マンネリになっていて、その中で新しい何かに挑戦していなかったからではないかと思うのです。

釣りを趣味としている人が、気力がなくなって行かなくなった。そんな人も、釣りという趣味であっても、何を釣るのか?どこで釣るのか?と考えて新しい場所や釣り方に挑戦していなかったことで、マンネリ化していたのではないでしょうか?

膝が痛くなってやめた。これは仕方がないことかもしれません。杖をつきながらでもできる新しい趣味を見つけることができれば良いと思います。おそらくそれが、できる人、できない人に分かれるのでしょう。これもまた、挫折からどう考えるかではないでしょうか? その考える良い癖を若いうちから作っておきたいものです。

「気力や元気」は一つの生き物だから、動かさなければ死んでしまう


高齢になって思うように体が動かない→だから好きなことができなくなる→気力がなくなっていく→外出しなくなる→足腰が弱る→寝たきりになる。そんな図式だと思います。これを「仕方がない」ととらえると、老化が進むと思います。

「気力や元気」は貯めておくことができないと私は思います。だから、毎日、元気と気力を出し続けなければ、維持できないと思います。「気力や元気」は一つの生き物であって、動かさなければ死んでしまう。そう解釈すれば、毎日動かし続けなければ、無くなってしまうことに合点がいくと思います。それが成長し続けることに繋がるのではないでしょうか。80になっても、90になっても成長する気持ちがあるって、素晴らしいと思いませんか?

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