私は48歳からマラソンを始めて人生が変わった
「健康とは努力なしでは手に入らない」という話を私はするのだけれど、努力する人はほとんどいないように感じます。なるようになるしかならないという、流れに任せているだけの人が多い気がするのは、私だけでしょうか?
とくに、70や80歳を超えてから努力するのは難しいよね。だから、40や50歳くらいから努力する習慣を付けなければならないはず。ところがそんな年齢は、子育てや仕事がとても忙しい年代。自分の体のことなんてかまってられません。でもそれで本当にいいのでしょうか?
体は資本だ。
こんな言葉は昔からよく聞きます。健康な体であるから仕事ができます。子育ても頑張れます。もし自分の体の健康に少しでも異常があれば、どちらもうまくこなすことができません。
病気になって初めて健康の有難みが分かる。
こんな言葉もよく聞きます。風邪くらいでもそう思うのだから、寝込むことがどんなにつらいことか誰もが分かっているはずです。しかし、治ってしまえばすぐ忘れてしまう。辛くて助けてほしい気持ちはどこへ行ったのだろう?
喉元過ぎれば、なんとやら?
ん?
なんとやらって、なんだ?
家で寝込むくらいならまだ軽い方です。入院や手術をするような大病をした人でも、退院して元の生活に戻ったら、健康の有難みを忘れてしまう人もいます。だからいつも良いことばかり起こるのではなく、時々、マイナス要素のことが身に振りかかるのではないかと私は思います。常に良いことばかりだったら、しんどかった頃のことを忘れてしまうだろう。辛い時期を思い出せるように、時々つまづき気付かせてもらっているのだと私は考えるようにしています。
私は48歳からマラソンを始めて人生が変わりました。
始めた頃は、こんなにも自分の人生に大きな影響を与えるとは思ってもいませんでした。経験したからこそ言えることがあります。
走ろう!
先日、ある人が「仕事で毎日1万歩以上歩いているから俺は大丈夫だよ」って言われました。しかしこの人は、「歩く」と「走る」の違いをご存知ないのだと思います。
健康のために一日1万歩、歩く人がいます。1万歩歩こうと思えば、1時間ちょっとかかります。それより、一日10分走る方が、体に良いとしたら、あなたなら走りますか?
と尋ねても「よし、走ろう!」と簡単にはいかないはずです。そんなもんです。だから私も無理にぜひ走りましょうとは言いにくいのですが、実際走ってみると本当に体が変わります。気持ちも変わります。
先日、ウォーキング教室で「スキップ」をやってみました。大人になってからスキップなんてやらないでしょ? 最初はできなかった人も、何度かやっているとできるようになるんです。というより、体が思い出すのでしょうね。だって子供の頃はできていたことなんですから。80歳の方もできるようになりました。すると「身体が軽くなった」と言われるんです。
そう、軽くなるんです!
体が軽いって、なに?
体重は同じだから実質量が減るわけでもないのに、軽く感じるんです。走りましょうとまでは言いませんので、ぜひスキップやってみてください。スキップの話は以前も書きました(→スキップで跳ねると、脳も体も心も軽くなる)。
ランニングしていると体の重い軽いを感じます。走り始めた時「あれ?今日は体が重いぞ」「ん?今日は軽いな!」という具合に。走り始めは重くてもそのうち軽くなってくることもあれば、逆もあります。体って本当に不思議です。それはおそらく老廃物の関係だと私は思っています。
私は今60歳。今もなお走り続けています。走ることがこんなにも気持ち良く楽しいことだなんて、最初は思いもしませんでした。「何が楽しくて走るの?」ってよく言われますよね。それは走ったことのない人の言葉です。山へ登るのも楽しくなりました。お天気の良い日には出かけたくなります。こんな気持ちになれたのは、走ることを覚えたからです。すべてにおいてポジティブな気持ちにさせてくれたマラソンに感謝しています。