「自分なりの逝き方」を健康なうちから考えておく
あなたは自分の最期をどのように迎えたいとお考えですか?
と、尋ねられても、はっきり答えられる人は少ないことと思います。週刊現代に興味深い記事がありました。記事を読んで、私が思ったことを書いてみることにします。
看護師らしいお言葉だと思います。その通りでしょう。何も間違いではありません。しかし、立場が変われば、違う考え方もあると私は思います。
①痛みが大きくても、一瞬で終わるならそれでもかまいません。
②最期くらいは、わがまま放題言いたい
③死んだ後のことなんて、まったく考える必要ない
④亡くなる瞬間、誰もそばで看取ってくれなくたってかまいません。
これはあくまでも私個人の考えです。
考えていたら、むしろストレスになるかも?
「自分なりの逝き方」を健康なうちから考えていたとしても、その通りになるとは限りません。どんな病気になるか分からないので、その病気次第では最後の気持ちはきっと変わることになるでしょう。だとしたら、考えていたとしても、考え損となります。むしろ思った通りにならなかったら、ストレスとなることでしょう。
逝き方を考えるより、生活習慣病にならないことが先決
記事中には、ステージ4の大腸がんで入院している人の話が出てきます。家族に迷惑をかけているから、「早く死にたい」と泣き出すようになったそうです。この人は持病で入院していた時に大腸がんが見つかったそうです。妻は膝が悪く介護の負担を気にして負い目を感じたからだそうです。
持病というのは、多くの場合は「生活習慣病」のことを言います。代表的なのが糖尿病です。あとは、心疾患や高血圧性疾患などもありますが、すべて日常生活が原因です。
厳しいことを言いますが、なるべくしてなってしまうのが生活習慣病です。自分の心がけ一つで防ぐことができたはずの病です。
どんな最期を迎えたいかを考える前に、どうやって健康を保つかをしっかり考える方が先じゃないでしょうか?
理想論です。
生活習慣病になっていなければ、入院することもなかったことでしょう。大腸がんも発見されずに、知らないうちに治っていたかもしれません。あるいは手遅れであっさり逝くことができたかもしれません。まずは、生活習慣病で入院したことが大きな間違いだと私は思います。
死んでからのことや、死に方のことより、今どのように生きるかを考える方が先決だと私は思います。