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〈掌編小説〉 『鯨』

〈掌編小説〉 『鯨』

「僕、実は鯨なんです」
 最近よく顔を見るようになった男はそう言った。私が働いている定食屋でいつも唐揚げ定食を食べている。27歳の私と歳の近そうな男だ。
「わざわざ大海原から遥々いつもありがとうございます」
「いえ、海と比べたら陸なんて大した広さではないので」
「それでも泳ぐよりは遠いでしょう」
「この2本足というのが面倒で」
「いつもはヒレですもんね」
「そうではなくて、4本あるんだったら4本使

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掌編小説『消えもの』

 夏に届いた手紙はわたしのことをずっと前から好きだったと書いていて、過去を遡るのはとても疲れるからそれだけでもうぴしゃりと心が閉じてしまい、それから、ああもうわたしはまたあの人をどうやって否定しようか考えなきゃいけないんだと思うと部屋にはいられなくて家を出て電車に乗って街へ出た。夜の街は誰もがわたしを見ていて誰もがわたしを見ていない。街の一部になったような心地がしてきたらあとはもうなにも考えないで

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わたしジャングルクルーズの船長なんです

「付き合うことになってからで申し訳ないんですけど、わたしジャングルクルーズの船長なんです」
「え、船長?」
「はい。ジャングルクルーズの船長です」
「現役の?」
「現役の船長です」
「何回もすみません、引いてるわけではないんです」
「いいえ引いてもらっていいんです」
「じゃあお言葉に甘えて。僕、あなたに引いてます」
「分かってましたがほんとうに引かれるとつらいですね」
「でも、接客業って聞いてたの

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掌編小説・ああたぶんそうじゃないよね三つ折りは四つ折りよりも難しいから

 津崎さんが紙を折っているところを見ていた。A4の紙を三つ折りにしようとして、どこで折っていいか迷って、適当なところで一度折って、もう一度折って、それを茶封筒へ入れた。
 津崎さんは別の部署の若い男と交際しているという噂だった。それは営業二課の松川くんだとか、そうじゃなくて本社ではなく近隣の支店の川瀬くんだとか、確度の高い情報はなかった。
 津崎さんは僕たちの部署の中では最も若い女性で、最も仕事を

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掌編小説・イルカの行方

 イワシの群れがきらきら光る。大きな水槽の中でひと塊りになって、群れの一匹一匹がつかず離れずの距離を保ちながら泳いでいる。
「わたし、ああいうのこわいな」
 彼女はそれを指差して、僕の目を見た。こわい、というより怒っているように見えた。
「みんなで生きてる感じがしてこわい」
 この水族館でいちばんの目玉の大きな水槽の前を、一度きりだけそれを言うために立ち止まって、あとはつかつかと歩いて過ぎてしまう

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短編小説 いつかの暗闇

「冷めてもおいしいコーヒーってあるけど、やっぱりあったかいほうがおいしいからさ」
 彼と別れたのは銀杏並木がまだ青々とした秋の入り口で、強い日差しを掻き分けて向かった午後の喫茶店が満席で入れなかった私たちは銀杏の木の下の陰に隠れながら別れ話をした。

「出会ったばかりの頃だったら一緒に着いていってもよかったなぁ。でもいまは違うなぁ」
 2年付き合った彼は私が他県へ職場が異動になると言ったとき、そう

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創作・わたしは犬

 わたしは白くてふわふわの犬。これだけじゃよく分からないと思うから、わたしは大きな犬で、たくさんの毛が生えていて、とにかくみんなが触りたがるの。分かる? まちを歩いているとどこからともなく人が寄ってきてわたしを触りたがる。わたしはそういう人が好きでも嫌いでもないから、気分が悪くなかったら触らせてあげる。

 わたしは大きくてふわふわしていて、たまに「フトッテル!」って言われたりする。人間の言葉はど

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掌編小説・桜泥棒

 彼が桜を持ってきた。彼、というか元カレなんだけど。鉢に入った盆栽みたいな桜は葉桜だった。前に見た時よりもひと回り大きくなっていた。「君と一緒なら花が咲くだろう」と言って、私の部屋の玄関先で鉢を押しつけて、私からはなにも話す間もないまま彼は去っていった。
「なに、それ」
 遊びに来ていたユースケくんが部屋の奥から私の抱えている桜を見て聞いてきた。
「これ、万年狂い咲きの桜だったはずなんだけど」
 

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〈掌編小説〉夢で会いたい

〈掌編小説〉夢で会いたい

 春を迎えた朝に私は夢を見た。

 夢の中で繰り返し何度も会う人がいる。その人はどこか現実の誰かに似ていて、それが誰なのかは私にも分からない。

 夢の中のあの人は私の恋人らしくて、でも名前も知らないし、夢で会うたびに幸せな気持ちになるけれど彼と私はどんなふうに出会ったのか知らない。

 夢の中で何度も彼と会う。カフェでデートもするし同じベッドで寝ることもある。そのたびに私は幸せに起こされる。

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〈詩〉 あ、春

まるで 違う生き物のように
うつくしい言葉を使う あの人も
同じように iPhoneの画面をなぞる

それは 鳥が鳴くのと 同じで
からすも うぐいすも みな
鳥ののどを使って
同じ空気をふるわせ さえずる

僕は からす色のiPhoneで
あの人は うぐいす色のiPhone

あ、春だ

〈短編小説〉 煌めく線香花火・第1話

〈短編小説〉 煌めく線香花火・第1話

「ねえ知ってる? 線香花火が落っこちる前に既読がついたら両想いなんだって」

 友達の三笠春子は線香花火に火をつけてそう言った。暗闇の中で線香花火の火花が弾ける。春子の線香花火の火はすぐに庭の地面に落ちた。

 今日から夏休みが始まった私たちは春子の家の庭で花火をしていた。来年は大学受験を控えているから今年の夏休みはめいっぱい楽しむんだと意気込んでいた。

「なんでもいいからLINE送って、それで

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掌篇小説 人魚の鱗

 少年は人魚から鱗を貰いました。人魚の鱗です。それは太陽に透かすと七色に輝きました。
 少年はそれを街の知り合いたちに見せて回りましたが、ひとりとしてそれを人魚の鱗だとは信じませんでした。誰も人魚の鱗を見たことがなかったからです。少年はその鱗が人魚のものであると証明する手立てを持っていませんでした。
 その夜、少年は間違いなく人魚から鱗を貰ったのだと頑なに信じて眠りましたが、翌朝目が覚めるとそれは

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〈詩〉火葬場

まだ誰も焼いていない火葬場に
まだ誰も焼いていない火葬場の人が
まだ誰も焼いていないのに
もう誰か焼いたような扉して
もう誰か焼いたような顔した人が
初めて誰かを運びいれて
火葬場は初めて人を焼く
もう誰か焼いた火葬場
もう誰か焼いた人
火葬場は誰かを焼いて火葬場になって
火葬場の人は
誰かを焼いて火葬場の職員になる
まだ誰も焼かれていない火葬場が
そこにある
真新しい 火葬場が