「見る」より「観る」を意識する
今日はちょっと、仕事の中で個人的に大切にしていることを記事にしたい。まだ完璧ではないかもしれない、でも意識したい、だから文字として残していきたい。
それがタイトルにもあるように、
「見る」より「観る」を意識する
ということ。
「ん?どういうこと?」と思う人もいるかもしれない。確かに読み方はどちらも「みる」だ。音にしてみれば何ら変わりがない。でも漢字が違う。ここにこだわりがある。
皆さんは「見る」と「観る」の違い、わかるだろうか。簡単にご説明すると、
日常生活を送っている中で、なんとなく目に入ってくるものを我々は常に「見て」いる。そう、意図せずに視界に入ってくる。
一方で、❝それ❞をみるときには、我々は「観て」いる。
例えば「スポーツ観戦」みたいに。
基本的には全然「見る」でいいと思うんだ。だって常に何かに集中して、意識を向けていることって疲れるから。
でもいざ仕事において、就労支援の現場においては「観る」を意識していきたいと思っている。
そのためには、自分のことで精一杯になっちゃいけないのだ。「そんなの当然」と思うかもしれない。だけどいざ自分の作業とかに集中しちゃうと、こういうところって蔑ろになる。
「呼ばれた時だけいけばいい」
「何かあった時だけ行けばいい」
『支援』という言葉が先行すると、この思考になることもあるんじゃないだろうか。それこそ「見る」的思考だと思っていて。
でもそれじゃいけないと思っている。
私たちの仕事の1つは、小さな変化に気付くことであり、小さな勇気を拾うことだと思っている。
「見る」ことでみえてくるのは『結果』だ。でも結果からわかることって「出来た/出来ない」の事実に過ぎない。
「観る」ことでみえてくるのが『過程』だ。昨日よりどんなところが変化したのか。その結果どういう成長があったのか。どうして今そういう動きをしているのか。今その人は何を考えているのか。それらによってどういう結果になるのか。
私たちはその変化を言葉にして伝えてあげることで、その方の気づきに繋げていかなければならない。
もう1つ、小さな勇気を拾うということ。
中には自分からの発信が苦手で、なかなか声が掛けられないという人もいる。でも自己発信する重要性をお伝えすることで勇気をもって声を出したり、手をあげたりといった変化を見せることがある。
この時、「見る」的思考だと、その変化って気づきづらい。だってわかりやすい変化じゃないから。だけどその変化に気付いてもらえなかった本人からしてみると、「せっかく勇気を出したのに、、、」となる。これって次の一歩が踏み出しにくくなると思っていて。
でも「観る」的思考になることで、俯瞰で意識を向けることでその変化に気付くことができる。その方の勇気を拾うことが出来る。それはその方にとって自信になるし、自分のことをみてもらえているという安心にもつながるんじゃないかと思っている。
「見る」と「観る」。
多くの方からすれば一緒かもしれないし、意識しないことかもしれないけど、私はこだわっていきたい。せっかく自分の時間を使って❝ここ❞に来てくれている時間を、丁寧に扱っていきたい。