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過去の自分とどう向き合うか

#就労支援の現場から


就労支援の中で、私が勤める事業所の特性上、脳卒中などにより後天的に身体麻痺を持ったり高次脳機能障害になったりする方と関わることがある。

これまでも記事で何度か書いたことがあるけど、脳卒中による身体麻痺やそれに伴う高次脳機能障害というのは、後天的になるもの。つまり、かつては出来ていたことが少し難しくなることだ。

それは人によって現れ方が違う。

言葉の面で出てくることがあれば、記憶の面で出てくることもある。感情の面で出てくることもある。

こういった方々にとって向き合わなければいけない壁がある。

❝障害理解❞だ。

発症して間もないうちは、まだ自分ができていないことにもなかなか気づけない。「なんでうまくいかないのかな」という感じ。

そこからある程度して、徐々に自分と向き合えるようになると、かつて出来ていたことが出来なくなっている、という事実を理解し始める。

「私、こんなに失語ひどいと思わなかった」
「昔はこんなのすぐに覚えられていたんだけどな」
「昔はこれ得意だったけど、今は麻痺で腕が言うこと効かんのや」

日々支援をしている中で、耳にすることがある言葉たちだ。

出来ていないことにすら気づけていなかった当初に比べれば、「出来ない」に気付けるようになったことは成長として捉えられる。
ただ本人にとってはものすごい辛い状況だということも容易に想像がつく。

だけどここから就職だったり復職だったりを目指していくにあたって、

「昔は得意だったんだけど、、、」

という考えは、言い方は難しいが「邪魔」になってしまいかねない。

確かに昔は得意だったのかもしれない。事実なのだろう。
だけどじゃあ今それはできるのだろうか。

過去があって今がある。
そこに嘘はない。
確かに同じ「あなた」だ。

でも働けるかどうかで見られるのは、今の状態だ。


出来ないことにショックを受ける中で、そこの壁を1つ越え、

「じゃあ何はできるのか」
「出来ないことはどうすればできるようになるのか」

そういった❝前❞を、❝未来❞を向いて行かなきゃならないのだ。


そのためにも本人以外の、支援員のような第三者の存在の関わり方はとても重要だ。ある種、「現実を伝える」役割があると思っていて。

お話を聞いていると「確かに大変だ」「出来ていたことが出来なくなるってつらいよな」と思うことはある。でもそこで一緒になって悩んでいてはその波から抜け出せない。

第三者であるからこそストレートに言うことが出来ると思っている。
もちろんそれは相手に対しての尊重を持ったうえで。

恐らく本人は先の見えない悩みにおわれている。
だからこそ私たちが、

「ここで自分の❝出来ない❞と向き合うことは、今後出来ることを増やしていくためにも必要な過程なんです」

とお伝えすることが求められる。

私たちに出来るのは、先の見えない不安に少しでも光を与えること。一緒に暗闇を迷うことじゃない。

過去と現在を分けて考え、
感情と事実も分けて考える。

光があることをお伝えし、光へのたどり着き方は一緒に模索する。

それが絶対解だとは思わないが、今の自分の中での解はそれ。
自分自身も日々模索している。


自分だって過去と向き合う。
きっと歳を重ねれば重ねるほど、かつて出来ていたことが出来なくなる。

その時にも同様の考え方をしたい。

過去と現在は違う自分だけど、自分であることに変わりはない。

過去の自分も大事にしながら、
現在の自分も大事にする。


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塩浦良太
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