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まじめでもいい、まじめなのがいい。

昨日の夜、あるツイートをした。

#あの夜 、これはニッポン放送開局55周年を記念してオンライン生配信で公演された「あの夜を覚えている」を見た後の感想だ。

ホームページに書かれている言葉を引用して概要をご紹介したい。

“君が踊り、僕が歌うとき、新しい時代の夜が生まれるー”
1967年のとある夜に始まった「オールナイトニッポン」。
楽しかった夜、寂しかった夜、不安な夜。
どんな夜もラジオから聴こえてくる声は、すぐ側にあった。

2022年。55年の月日が経ったある夜。
今宵も「オールナイトニッポン」の放送が始まる。
キューが振られ、パーソナリティがカフを上げれば、
真夜中のブースが、ラジオの前のあなたと繋がる。
しかしその番組には、誰にも言えない秘密があったー。

舞台は有楽町、深夜のニッポン放送。
すべてのラジオリスナーに贈る「あの夜」の物語。

私とラジオって、意外と長い付き合いだったりする。

高校生の頃は部活を終えて家に帰った後、「スクールオブロック」を聴きながら勉強をしていた。

大学に入ってからはオールナイトニッポン、オールナイトニッポン0を聴くようになった。音声だけで楽しむ、音声だけで笑える、音声だけで考えさせられる。その魅力にすっかり虜になっていた。

そんな中で今回、ニッポン放送開局55周年を記念して生配信演劇があることを知った。しかも演出はテレビプロデューサーの佐久間さん。

「見るしかないっしょ」

ちょっと高かったけど、配信チケットを買った。

結果。お金を出してまで見て良かったと思っている。それくらい良かった。泣いた。勇気づけられた。

詳しい内容までは見ていない人もいるだろうし、アーカイブでも配信されているので言及しないが、この演劇のテーマを述べるとしたら「まじめ」だった。


まじめ。

まじめであることってすごくいいことなんだけど、なんだか人に言われるとあまり印象を受けない気がするのは私だけだろうか。

そんな風に解釈してしまうのは私がひねくれているからだろうか。
今は少しずつ変わってきたが、小中学生の頃とかは特に「まじめだね」と言われることがすごく苦しかった。それに苦しくなるくらい「まじめだね」と言われることも多かった。


いや、相手は本当に褒めてくれて尊敬してくれていたのかもしれない。だけど私にはどうしてもその「まじめだね」の後に「でも面白くないよね」だったり「よく頑張れるよね(笑)」みたいなのがついているんじゃないかと思ってしまっている自分がいた。

きっとそんな風に感じてしまうのは、誰よりも自分自身が「まじめ」であることに後ろめたさを感じていたからかもしれない。かといってその状況を打ち破るほどの強さはなかった。

まじめであることが「安定」となり、むしろそこから殻を破ることが怖くなっていた。やんちゃをやったり、ふざけたりしている人を見て指をくわえながら、淡々とやるべきことをやっていた。

まじめであるがゆえにいろんな自分を演じて、だけど自分じゃない「自分」を演じることに苦しくなって。結局自分は誰なんだ、そんな風に思うこともあった。

でもね、結局自分が演じる「自分」は全部自分自身なんだ、ってことがようやくわかった。演じている自分も、演じていない自分もそのすべてが自分自身で。だからどんな自分にも後ろめたさを持つ必要なんてなくて。

弱さをさらけ出したいときはさらけ出せばいいし、理想の誰かを演じたいときは演じればいい。それでいいんだって、それがいいんだって。

まじめでもいい、まじめなのがいい。



昨日この配信をみて、改めてそれを再自覚した気がした。

こんなにも「まじめなこと」が肯定してくれる映像もまた珍しい。そしてまじめでもいいんだ、って思わせてくれる最高な作品だった。

この演劇の主題歌がCreepy Nuts×Ayase×幾田りらの「ばかまじめ」という曲。これもまた最高。ぜひ聞いてみていただきたい。


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