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書いて消化する。

「寝たら忘れる」

何か嫌なことがあったとき、忘れてはいけないことがあったとき、失敗をしてしまったとき、あなたはどんな対応をとるだろうか。


徹底的に考える人もいれば、後悔する人もいるかもしれない。
中には冒頭に書いたように寝たら忘れる人もいるかもしれない。

何か嫌なことを寝たら忘れることが出来たらどんなにいいだろうか、そんな風に思った日は少なくない。

なんせ自分はそんな器用な人間ではない。

嫌なことでも、失敗でも「なかったことにはしてはいけない」と思っている。どんな見たくない側面からも目を背けたくない。

カッコよく言えば愚直で、シンプルに言えば頑固だ。


そういった考えはあるけどなかなかいい方法がなくて、うーん・・・ってなってたときに、noteは最高の場所だった。


私自身、今の負の感情の吐き捨てどころはnoteの記事になっている。

自分の中で留めておくだけでは消化しきれない、だけど寝て忘れることなんてしたくはない。そんな思いをnoteに記事にして文字にして、客観的に見て消化する。

今このサイクルが出来上がりつつある。



吐き捨て方にも自分ルールはある。

それは”絶対にマイナスで終わらない”こと。
その反省をどう次に活かすかまで考えること。

しんどかったこと辛かったことを書き連ねることは誰だって出来る。そしてきっとそれは共感を生むかもしれない。

だけどそこで終わってしまっては、その経験を「嫌な思い出」として完結させている

自分はそれってすごくもったいないと思う。

どんなにマイナスな経験でもどこかしらにプラスの光はあると思っている。いやプラスの光を見つけたいと思っている。

自分の人生の中に「嫌だっただけの記憶」は残したくない


そしてその反省をどう次に活かすか。

人生そこで終了なら吐き捨てるだけで終わってもいいかもしれない。

だけど嬉しいかな、悲しいかな人生は続く。

同じ失敗を繰り返すことほど、限られた時間の人生の中で無駄な時間はないと思っている。

同じ失敗を繰り返さないためにも、次の対策を客観視できる状態にするとともにnoteという場を通じて宣言する。

そうやって自分自身を追い込むのも、自分の性に合っていた


そうやって自分なりの吐き捨てる場所を見つけ、吐き捨て方を決めたことで何かを「長く引きずる」という習慣はなくなった気がする。

そして面白いのはあとで自分が書いた記事を振り返った時に、自分が悩んでいた時期がわかるということ。

「あ、この時期にはこんなことで悩んでいたんだ」
「この時期はこんなことに挑戦していたんだ」

やはり文章というのは感情を表すようで、その時その時の状態が素直に言葉選びに出ている。

そういった意味では文章を書くこと自体が、自分のセルフケアにつながっているという捉え方も出来る。


どんな泥臭い気持ちでもなかったことにはしたくない。

自分の感情を見て見ぬフリをしたくはない。

しっかりと文字にして言葉にして文章にしてアウトプットする。それをどうしていくかの判断はそれから。

これからもnoteを通じ、自分のそんな泥臭い、負けず嫌いな部分も楽しんでいただけたらと思っている。

気楽な気持ちで、「またなんか書いてるよ」くらいの感覚で。






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塩浦良太
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