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何を言うか、どう言うか

言語化って言葉が使われだしたのはいつからなのだろう。
当然、言葉自体は古くからあるとは言え、頻繁に耳にするようになったのはここ5~6年な感覚がある。いや、もしかしたら自分がそういったことに興味を持つ年頃になったからキャッチアップできただけで、もしかしたらずっと前から話題だったのかもしれないが。

そんなどうでもいいことを、ほどほどに考えている。


言語化って、”何を言うか”のことだと思っている。

自分が受けた感情だったり、頭の中で考えていることを表現するための手段として言語化が必要になってくる。個人的なイメージとしては、”感情”や”思考”という形のないものに対して、言葉で輪郭を付けていく作業が「言語化」だと整理している。

ものすごく大事な作業だ。表現できないよりできた方がいい。相手にとっても、表現されることで相手が思っていることが見えてくるものである。

ただ、言語化するだけでいいのだろうか。


ChatGPTをはじめとした、AIとのやり取りであればそれでいいのかもしれない。でも、”何を言うか”だけで完結しないのが、コミュニケーションだと思っている。

コミュニケーションって内容のやりとりはもちろんあるが、感情のやり取りでもある。つまりは、何を言うか/言われるか、も大事だけど、どう言うか/言われるか、も大事なわけであって。

めちゃくちゃ丁寧に言語化されていても、論文か!っていうくらい長かったり専門用語がたくさん出てきたりしたら、聴く側は一切理解ができない。それに、言っていることはめちゃくちゃ正しくても、なんか突き放した言い方というか、”正しいことだけ”言われたら、どこか気持ちがスッキリしない部分もあるんじゃないだろうか。

つまりは「どう言うか」=伝え方、も大事になってくる。

これは、知識がどうとか、ボキャブラリーがどうとかの話ではなく、相手を考えて相手に伝わる言葉選びができているのか、という話で。

言語化ばかりに意識を向けていると、伝え方の方が蔑ろになってしまうんじゃないかと思う。それだとコミュニケーションとしては齟齬が生じやすくなるなぁ、と日々感じる。


それぞれをちゃんと分けて考えなくてはいけない。

自分は何を言いたいんだろう。それをどう表現すればいいんだろう。
じゃあ相手にはどう伝えればわかってもらえるだろう。

結構大変な作業だ。調べて出てくる話ではない。

もちろん調べることで選択肢が広がるが、それに加えてたくさん自分と向き合わなきゃいけないし、相手のこともたくさん知らなきゃいけない。

それの繰り返しによってこそ、あるべきコミュニケーションがとれるんじゃないかな、って思う。

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塩浦良太
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