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「知らないから」じゃなくて「知りたいから」

質問。

それは「わからないこと、知りたいことを尋ねること。」

事あるごとに「何か質問はありませんか?」と言われることがある。自分が言うこともある。個人的にはこの「質問」が苦手だった。

就活の時、面接でよく

「最後に質問はありませんか?」

と聞かれることが多い。よくいう「逆質問」というやつ。当時の私はこれがすごい苦手だった。苦手だったというか浮かばなかった。というのも”聞くことがない”と思っていたから。

自分の性格上、何も知らない状態で面接だったりイベントだったりに臨むのは怖かった。武器を持たずに戦に出るみたいな感じ。

だから事前準備は徹底的にした。めちゃくちゃメモした。1回その対象を「好き」になるくらい調べていた。そうするとある程度のことを知った。それですべてを知ったつもりになっていた。

「質問って知らないことがあるからするものでしょ?」

当時の自分はそう思っていた。だから質問なんかないや、だって知ってるもん。むしろ知らないって思われた方が恥ずかしいかも、って思ってた。



働き始めた。より多くの人と関わるようになった。
何なら自分が新卒の学生と面談する立場にまでなった。

必然的に質問をする機会が増えた。

質問をすることが増えて、やがて習慣になって、考え方が変わってきた。

”わからないから質問するんじゃない。
もっと知りたい、もっと対象を好きになりたいから質問するんだ。”

何が違うんだ?という感じだろう。
そう、言ってしまえば大差はない。でも気持ちの持ちようが違うと個人的には思ている。

前者(わからないから質問する)は「マイナス」を「プラス」にする作業の感覚だった。だから現在地が「マイナス」だと思われることが恥ずかしくてどこか質問できない自分がいた。

でも後者(もっと知りたい、もっと対象を好きになりたい)の立場に立てばどうだろう。「プラス」から「プラスプラス」にする作業に大変身。

同じ「質問」という行為なのに、捉え方が変わるだけでこんなにも違いがあるなんて面白い。でも質問って本来後者であるべきなのかもしれない。

我々は当事者でない限り、相手の全てを知らない。相手の全てを知ったつもりでもそれは絶対に相手の全てじゃない。なぜなら相手から発せられる声が相手の全てなのだから。

「相手」をものすごく多用してしまった(笑)

知ったかぶりをして得をするのは誰なのだろうか。
誰も得をしない。

質問をすることは恥ずかしいことなのだろうか。
恥ずかしいことじゃない。

質問=相手をより知りたいと思うこと、相手をもっと好きになりたいと思うこと。この視点に立つだけで質問は”しなければならない”ことから”したい”ことに変わる。

それに聞かれる側が自分に興味を持っている人、自分を好きでいてくれる人のことを嫌うことなんか滅多にない。むしろ嬉しい。


「知らない」から質問するんじゃなくて、「知りたい」から質問をする。根源はどっちも「知らない」「わからない」なんだけど、質問する目的を変えるだけで気分は一気に変わってくる。

「趣味は質問することです。」

そんな風に言えるくらい、いろんな人を好きになっていろんな人に興味を持ちたい。


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塩浦良太
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