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「あの人だったらどういった選択をとっているんだろう?」

自分がした決断が正しかったのかどうか、自分が発した言葉が正しかったのかどうか。

結構悩むことがある。

悩むってことは現状に満足していない、っていう意味で良いことだとポジティブには捉えているんだけど、その決断で他の誰かが影響を受けることもあるので慎重にならなきゃいけない場面もある。

そもそも「正しい」という概念を定義づけることに難しさはあるが、結構悩むことがある。

「自分が選択した道を正解にするんだ」

とか

「自分らしさを大切に」

などと耳にすることがある。おっしゃる通りだな、と思う。と同時に常にそうできる強さが自分にあるのかな?とも思う。


最近考えることがあった。

自分の決断が求められる環境で、その場で持ち帰って話し合うという選択も出来た中で空気に焦り、答えを焦り、自分の解釈で答えを提示した。

しかしいざ冷静になると、不安が頭を駆け巡る。

自分がした選択が正しかったのか、それだけの責任をとれるのか。

一人を守るためにみんなを犠牲にするか。
みんなを守るために一人を犠牲にするか。

「犠牲」という言葉遣いは誤っている気がするが、それくらい複雑な問題ってある。まさに「一人はみんなのために、みんなは一人のために」の真逆だ。


そんな時、自分の行動・選択を振り返る際に自分にとってのお手本を頭に置いておきたいなと思った。

「あの人だったらどういった選択をしたのかな?」

と。

それは身近な尊敬する人でもいいかもしれないし、テレビの画面の向こうのスーパースターでもいいかもしれない。

自分とは違う別の人。そして自分が尊敬できる人。

それが正解とは限らない。

だけど自分のありたい人、理想とする人、憧れの人であることに間違いはない。その人になったつもりで、その人の人格を自分におろして考えてみる。


例えば自分が野球部の部員だったとする。

もっと上手くなりたい。でも部活の練習で疲れて「今日はもう帰ろうかな?」と思う。そんな時に一度立ち止まって考えてみたい。

「イチロー選手だったらどうしているんだろう。きっと素振りして帰るだろうな」

別にここで素振りするから偉い、素振りしないで帰るから偉くない、そういった話をしているのではない。

自分が憧れている人がいて、その人に近づき、追い越すためには「その人だったらどうしているか」という視点を持つ。そうすることがまずはその人に近づく第一歩なんじゃないか、ということだ。


またその、憧れの人の視点を持つことは「自分の至らなさ」「足りない点」を客観視できるいい機会だとも思う。

「あの人だったらこういう選択とっているんだろうな。でも今の自分にはその発想出てこなかったな。なんでだろう。どこが足りないんだろう。」

人間自分のことには盲目だ。

客観視することがさらなるステップアップには必要だと考える。

そんな時、憧れの人をモノサシにしたい。


「あの人だったらどういった選択をとるか」


場面場面に自分だけのロールモデルを頭において、自分の選択・決断の振り返り作業の時に問いかけたい。

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塩浦良太
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