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考えることを諦めちゃいけない

自分が先日書いた「脱・「自分なんか」」という記事を、フォロワーであり、僕自身も紡ぐ言葉が好きでフォローさせていただいているさきさんに紹介していただいた。

さきさんのことを簡単に紹介すると、プロフィールを拝見すると大学生ということですごく若い。大学生を「若い」と言ってしまう域に達してしまった自分に少し寂しさを感じるが。(笑)

僕がフォローさせていただいている理由としては、「記事がすごく”真っすぐ”だから」

もしかしたらすごく悩んでいるのかもしれない。
もしかしたら葛藤を抱えているのかもしれない。

だけど、自分と向き合うことを諦めていない。考えることを放棄していない。そんなさきさんから紡がれる言葉の数々は真っすぐこちらに刺さってくる。こんなことを言うのは恐れ多いが、大学生の頃の自分を重ね合わせてしまう。自分の方がずっと子供でずっと幼稚だけど。(笑)

***

前置きが長くなってしまった。

上記に添付した記事を読んで、さきさんなりに私の記事からいろんなものを受け取ってまとめてくれていて嬉しいなぁ、と感じるとともに

「自分がやりたいことの1つってこれなのかもなぁ」

とも思った。(記事はぜひ飛んで読んでいただいて)


自分が個人的に思っている、
一番人が陥っちゃいけない状況が「思考停止」になること。

人は考えることをやめた瞬間、一気に”お客様”になってしまう。

お客様になってしまうことの一番の危ない点は、そこに感情が生まれにくくなってしまうことだと思っていて。

人は難しくなったり、自分にはどうしようもない状況になったように感じたりすると、

「もうわからんわ」

と投げ出しがちになる。

確かに投げ出すことは簡単だ。

でもそこで投げ出してしまうと、人を傷つけることに対しても、自分が傷つけられることに対しても、喜びも悲しみも楽しみも怒りもすべてが他人事のように思えてしまう。

だって自分のことがよくわかっていないのだから。

でもそれってなんか寂しい。
せっかく自分の人生なのに、その舵取りを誰かにお願いするってことになる。それに周りも最後まで舵を取ってくれるわけじゃない。

最後の最後は手を放して、結局自分が最後の舵取りになる。
でもその時にはもう、自分がいまどこにいるのかすら知らない場所にいる。
そんな最後は嫌だ。

そうならないためにも、自分と向き合うことをやめちゃだめで、考えることから逃げちゃだめで。自分の人生の”お客様”にはなってはいけない。

***

自分が投稿する記事の多くは、自分と向き合い、もがき、自分なりに答えを出そうとした結果の言葉たち。

言ってしまえば僕だって大学生の途中まで「思考停止」人間だった。でもnoteに出会い、このままじゃいけないと思い、たくさん考えるようになり、今がある。


何も僕は、自分が書いた記事が絶対正しいと思っていないし、「あなたもこう考えた方がいい」と提言するつもりなんてのもさらさらない。

なんなら自分はちょっと特殊なケースだとも思ってるし(笑)

ただ僕が記事を通して伝えたいこととしては、

「皆さんもなにか”考えて”みませんか?」

ということ。

今の時代、調べればすぐに答えが手に入るようになった。
それにその調べる道具が持ち運べるようになっている。

巷にはいろんな人の「正解」が転がっている。

その分、楽して成果が得られるようになったのかもしれない。
その一方で「考える力」が弱くなってきたと思っている。

ちょっと考えればわかるはずの善悪の判断がつかなくなったり、
「自分らしさ」って何なのか思い悩んだり(僕もそう)。

それってきっと、考える機会が減ったからなんだろうなと思っていて。

「考える」って確かに苦しいことではある。
一筋縄で答えが出るわけじゃない問題だってある。
なんならそういう問題の方が多い。

でも考えなかった結果、自分の大切な人たちを意図せず傷つけてしまう可能性だってあるし、自分だって「考える」苦しさとは違う苦しさを背負うことだってある。

だからこそ、時代に逆行してでも自分が考えている姿を見せることで、同じように、

「私なら/僕ならこう思うなぁ」

と考える人が増えればいいなと思っていて。そうなれば今よりちょっと優しい世界が広がるんじゃないかなと思っていて。

自分が書いた記事がなにかの「きっかけ」になれば。


そんな自分のやりたいことを、さきさんが書いた記事を読んで改めて実感した。


考えることから逃げちゃだめ。
考えることを諦めちゃだめ。
これが僕の永遠のテーマです。

だからまずは僕が逃げずに向き合い続けます。


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塩浦良太
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