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あなたの「普通」、わたしの普通。

#就労支援の現場から  Vol.4

「これは普通ならこうならないはずです」
「こういう時、普通はどうしますか?」

「普通」ってなんだろう。
すごく難しい。だけど当たり前のようにこの漢字2文字が飛び交っている。

「普通だったらこうじゃない」
その考え方1つで一気に行動に思考に制限がかかる。

「普通はこういうもんです」
そのたった一言で、伝えた相手の行動に制限をかけるかもしれない。

*

データ入力を行うプログラム。
ケアレスミスを誘発するような「0」「O」が並んだり、「i」「j」が並んだりしている。これを間違えずに入力する、確かに至難の業だ。

その問題に対して、

「これって普通の会社じゃこういうわかりづらいことになりませんよね」

と一言。この時、「普通」って難しいなぁって思った。

確かに普通の会社じゃそうなのかもしれない。でもここでの「普通」はわかりづらい仕様になっている状態だ。それにもしかしたら他の会社でも同じようにわかりづらい仕様になっているかもしれない。それは極論法律で定められているわけじゃないし、すべての企業の中に入ってみないとわからない世界だ。

何もここでは極論の話をしたいわけじゃなくて。
それくらい、「普通」って不確かで曖昧なものなんだ、ということ。

24年間しか生きたことのない、まだまだ若造の考え方だが、結局普通というのは「その人が経験してきたものからつくられたその人だけのもの」なんじゃないかな、と思ってる。

人の数だけ普通があって、人の数だけ当たり前がある。

人によって普通の価値観が違う。
これはすごく自然なことだ。その中ですり合わせをしていけばいい。

ここで大事なのは、

”違う「普通」に触れたとき、どう対応するか”


「これは自分の中の普通じゃない。やってられない」

これも選択肢の1つ。

「これがここでの普通なのか、、、。なるほど。とりあえずやってみるか」

これもまた選択肢の1つ。

「これがここでの普通か、、。
ちょっとだけやりやすいようにアレンジ加えちゃえ」

これもまた選択肢の1つ。

どれも間違った選択ではない。

ただ自分が選択したことが、自分の道を広げたり狭めたりするということは視野にいれて選ばないといけない。

自分で決めたことは自分で責任をとらないといけないことも忘れてはいけない。


妥協できる部分か、できない部分か。
我慢してでも頑張る部分か、我慢するくらいなら手放してもいい部分か。
などなど、選択の基準はさまざま。

*

あなたの「普通」と私の普通は違う。
それは食べてきたもの、住んできた場所、過ごしてきた経験。
そのどれもが違うから。

その中で、あなた以外の「普通」に触れたとき、どう対応するか。

ここの部分の重要性は今一度意識しておきたいところだ。
自戒も込めて。

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塩浦良太
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