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「自分だけじゃない」と気づける場所があること
何かのサービス紹介ページやWEBサイト等を見た時、「よくある質問」ってよくついている。
人は何かを決断する時とかに「本当にこれでいいのか」悩むことがよくある。わからないというのは、得体のしれないものに向かっているわけで。その悩みを先回りして回答(=形づけ)してくれるのが「よくある質問」だと思っている。
自分が悩んでいることがそこに掲載されていると、
「あ、同じことで悩んでいる人いるんだ」
ということに、どこか安心する。
これとちょっとだけ似ている部分を、自分はnoteで勝手に感じている。
noteでも「自分の悩みを代弁してくれている記事」によく出会えるのだ。
もちろん、noteはどんどんどんどんとユーザー数が増えていて、豊富なジャンルの投稿がなされている。だから自分が選んでそういった記事にたどり着いているという側面はあるのだが、でもそれ以上に「たどり着く先がある」ということが重要だと思っていて。
特に生活の悩みとか、人生の悩みとかになると、近くの人には相談しづらいことってあると思う。
「これ言ったらどう思われるんだろう」
「ネガティブな感情で巻き込んじゃだめだよな、、」
「自分がおかしいのかな」
優しければ優しい人ほど、周りを気遣い、言い出せなくなっているんじゃないかと感じる。
だけどnoteは、そんな「こんな悩み、抱えててこんなこと考えてるんです」という記事がいくつもあって、似たような悩みや考えを持っている人の心を拾ってくれる。
それで救われるかどうかはわからない。それを判断するのは受け取る側だから。ただ、少なくとも拾う役割は果たしている。1人なんじゃないか、と思うことを「私も一緒なんよね」と言ってもらえる感覚。
それってただネガティブで共感しているわけじゃなくて。悩みながらも前を向こうとしているところがいいわけであって。実際自分も、noteに投稿されている記事で何回も何回も救われてきた。
だから自分自身も、日頃悩んでいることとか、考えていることは自分の中で溜め込まずに、「自分自身整理するため」+「シェアのため」に言語化している。
同じように悩んでいる人にとって、「一人じゃないんだ」と思うきっかけにもなってくれたら嬉しいから。
ふと、そんなことを思った。
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