「一部」と「全部」
#就労支援の現場から Vol.3
「目に見えるものが真実とは限らない。」
かの有名なドラマで出てくる有名なセリフ。
TikTokなどSNSで人気というかネタになっていたけど、この言葉は結構真理をついていると思う。
少し表現を変えて言うのであれば、
「目に見えるもの”だけ”が真実とは限らない」
か。
普段の仕事でもそれを感じることがある。
わたしたち「就労支援」というサービスは、このサービスを利用してくださっている方々にとってはその方の人生の一部だ。その方のすべてではない。
一方で支援員と呼ばれるスタッフにとっては、目に見えているものだけで判断しようとすると、サービスを利用している時の姿がその方のすべてになってしまう。
これがどういった意味合いを持つか。
あるケースとしてものすごく能力の高い方だったとしよう。
礼儀もしっかりしていてパソコンスキルだったり作業スキルも十分に備わっている。社会経験の少なさが多少不安要素ではあるけど、今すぐ就職を目指せそう!という方がいたとする。
きっと就労支援に通われているその方の姿だけを見ると、周りの支援員からすれば、
という声掛けが行われる可能性がある。だってそうだろう。目に見えるものだけで判断するのであれば、目の前にいるその方は能力が高いのだから。
ただ話は戻るが、その方にとってはこの就労支援を使っている時間は人生の一部に過ぎない。今仮に「能力が高い」「落ち着いている」という状態だったとしても最初からそうだったかというとそうとは限らない。
本人が努力して時間をかけてようやくたどりついた”今”かもしれない。
そこを、この”今”だけを切り取ってみてきた人たちに「すごいですね!」「はやく就職めざしていきましょう!」と急かされるとなると、そりゃ負担になるのも無理はない。せっかく積み上げてきたものを、1つの判断の誤りで崩しかねないから。
私自身、自分に言い聞かせている言葉がある。
良くも悪くも最後は自分。それが選択の基準にもなっている。
これを他者にも押し付ける、というわけではなく、ぜひ自分のタイミングで決断してほしいという思いが私の心の片隅には常にある。
少し話がそれてしまった。
「目に見えるものだけで判断してはいけない。なぜならその方にとって「ここ」は人生の一部に過ぎないから。」
そういった話をしてきた。するとおそらく次に上がってくる声はこういったものだろう。
「じゃあどうすればいいのか」
長い間付き添っていたわけでもなく、就労支援を利用しているこの瞬間の姿しか知らない私たちがどのようにしていけばいいのか。
もちろんその方の背景を知っていく、というのも1つだ。
ただそこも含めて何より大切なのは「コミュニケーション」なんだと思う。
すごく当たり前のことだけど、当たり前すぎて蔑ろにしてしまいかねない部分でもある。
自分と相手との齟齬を埋めるのはコミュニケーション。コミュニケーションによって空いている穴を埋めていくしかないのだ。
目に見えるものだけで判断しない。決めつけない。
目に見えるもので自分の考えを持つことも悪いことではない。
ただ支援員にとっては目の前の姿がその方の「全部」でも、
その方にとっては「一部」。
最終的にはコミュニケーションによって輪郭をつけていくということを忘れずにいたいものだ。