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自分の人生生きてるようで、誰かの期待に生きていた

「え?」と思うタイトルかもしれないが、何よりこれに気づいた自分が驚いている。

以前、就活についての記事を書いたが、民間を目指すことに決めて、初めて本当の自分に出会えたと思っている。そう思うのはなぜなのか。時は幼少期までさかのぼる。


もう誰も離れてほしくない

幼少期、両親が離婚し、私は父と祖父母と暮らすようになった。姉と母とは別々だ。

その時はどう思っていたかは覚えていないが、違和感は覚えていたのだろう。寂しかったのは覚えてる。もしかしたら「もう誰も離れてほしくない」と思っていたのかもしれない。だからこそ、一生懸命育ててくれていた祖父母の期待に応えようと必死だった。ちょっとしつけも厳しめだったかもしれない。だがそれについていった。

みんなの期待に生きる自分

小学校に入学。私は一生懸命勉強して、一生懸命遊んでいた。

厳しくしつけられていたこともあり、マナーはしっかり守り、テストもいい点をとる。いい点とった方が周りに喜んでもらえるから。そしていつしか周りからみると「優等生」になっていた。

期待されていることは嬉しかった。何かあるたびに班長やリーダーなどを任されて、誰でもできる経験ではないからこそやりがいはあったし、大変光栄なことである。ただ徐々に、年を追うにつれ、プレッシャーを感じるようになってきた。そしていつしか「自分」という存在が自分自身の首を絞めているように感じてきた。

「自分」という人間はクラスの中心でなければいけないし、テストでよい点もとらないといけない。授業も一生懸命頑張って、気配りもできる。それが周りの中の「当たり前」になっていた。さらにそれに必死に応えようとしている自分がいた。この気持ちの根底は幼少期に感じた「もう誰も離れてほしくない」という気持ちがどこかにあったのだろう。

本音を言えば、自分もやんちゃしてみたいときもあった。「隣の芝生は青い」というが、テスト期間に勉強しないで遊んでみたかったし、少し悪さもしてみたかった。ただ信頼は積み上げるのには時間がかかるが失うのは一瞬である。それを気にしないほどの突破力が私にはなかった。

みんなが喜んでくれるのが自分にとっても嬉しい。今思えば危ない考え方かもしれないが、当時の自分にとってはそれが「当たり前」だったし、他を考えるような余裕がなかった。

学校ではみんなが期待している「自分」を演じ、家に戻ると家族の期待に応える「自分」を演じる。唯一自己表現が出来ていたのは、部活でやってた野球の時だけかもしれない。

ここまで「演じる」ことを続けてきてやりきることが出来たのは自分なりにそこに「面白さ」を見いだすことが出来たからだと思っているが、期待を裏切るほどの熱量が自分になかったのも事実だ。

一人の時間ができて思うこと

大学に進学すると寮生活ではあるが、初めて家族から離れて一人暮らしになった。さらに高校までの同級生とはほぼほぼバラバラになっている。「自分と向き合う時間」が出来たのだ。

それでも最初は家族の期待に応えようとしていた。「公務員になってほしい、教員になってほしい」。俺はならなきゃいけないんだ、そう思っていた。

一人になると自ずと自分自身と向き合う時間が増える。何のしがらみもなく、自分自身と向き合う時間が。

独学で公務員試験の勉強をしていても、モヤモヤがこみ上げてくるようになった。「自分の本当にやりたいことってなんだろう」「このまま期待に応えてるだけでいいのかな」。モヤモヤは日を追うごとに大きくなり、その旨を寮の先輩に話した。その先輩はこう言った。

「もっと自分のために生きていいじゃん」

正直言って、衝撃を受けた。もっと自分のために生きていいのか。

同時期にたまたま読んでいた「嫌われる勇気」にも衝撃を受けた。

われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない。」
あなたは、他者の視線が気になっている。他者からの評価が気になっている。だからこそ、他者からの承認を求めて止まない。

「うわ、俺これだ」と読んだ瞬間に思った。

難しい、けど清々しい

その時から他者の期待「だけ」に応える人生はやめようと決めた。こびりついた本質だから簡単には治らないが、その第一弾が「公務員を目指すこと」を止めたことだ。

かといって結構難しい。自分の欲がなかったからだ。何も知らない、何をすればいいかわからない。だから難しい。でも楽しい。自分自身の困難に立ち向かっている感じが楽しい。

自己分析のおかげで「今まで自分は他人の人生を生きていたんだな」と気づくことも出来た。そしてこれをアウトプットできる「note」という場に出会えたことも嬉しい。

好きな言葉がある。
何度か紹介したかもしれないが、それくらい好きな言葉だ。

「これまでがこれからを決める」のではない。
「これからがこれまでを決める」のだ。  (藤代聡麿)


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塩浦良太
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