「どうすれば?」の前にやってみる
何も知らない世界に入ると、
「どうすればいいかわからない」
という状態になることってある。
言い方は少しあれだが、変に知識というか噂話だけ持っているがために目の前の対象に恐れを感じ身動き取れないことってある。
むしろ何も知らないほうが思い切って出来ることってある。
私は「考える」ということを自分の中でめちゃくちゃ大事にしている。
”人は既知の範囲でしか行動できない”ということを思っているし、一度自分の頭で理解したことをアウトプットというかたちで行動にうつしていると思っている。
そんな自分がこれから真逆のことをいうのだが、
「考えすぎるのは危険だ」
とも思っている。
プラスの方での妄想が膨らむ分には申し分ないのだが、それと同じように妄想がマイナスの方に働くこともよくある話。
何も知らない状態だったら理想をイメージし、夢がどんどんどんどん広がっていく。
でも中途半端に知識があることで、悪いほう悪いほうにイメージが膨らんでしまうこともあると思っていて。そうすることで「あれもしないほうがいいんじゃないか」「これもしないほうがいいんじゃないか」という空想上の「しないほうがいいんじゃないか」にがんじがらめになってしまう。
だけど一回考えてみたい。
何もしないって、何も生まれない。
いや、最初から「よくないこと」とわかっていて何もしないことはマイナスになることをプラマイゼロにする点で意味はあるかもしれない。
でも何もしないってゼロからゼロ。
それがプラスになることってない。それって時間がもったいない気がしていて。
だったら、確約されていない失敗なら、考えすぎる前にやってみるのがいいのかなと思う。たとえその瞬間マイナスになったとしても、長期的に見てプラスになればいいだけの話で。
「しゃがんだぶんだけ、それは次に高くジャンプするための準備だ」
って言葉も聞く。
それでも怖いことってある。それだったら、まずは「言われたことをやる」だけでもいいと思っている。
「そんな受動的な」と思うかもしれないけど、言ってくれる人ってたいてい自分よりその現場を知っている人。その人が言っていることをまずはやってみる。
下手な話、それをやって何かよくない結果になったらその人のせいにすればいい。というのは冗談だけど、でもそれくらいの心の余裕はあっていい。
なんなら言われたこともできないのに新しいこと、相手が求めていることなんて出来ないなと思っていて。
言われたことをやっていく中で、合う/合わないを見つけていく。そこでいろんな合う/合わないを知っていく中で、自分に合うものだけを組み合わせて自分だけの独自性を生み出していく。
究極ゴールはそこなのかなと思う。
だから「どうすれば?」と悩んで動けなくなる前に行動したい。
それでも不安でわからなかったら聞く。そして言われたとおりにやる。いわれたことをまずはできるようになる。
その中で自分だけの味を見つけていく。
嘆く前に動く。
これを自分の至上命題としていきたい。
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