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遠慮と配慮

自分の中で苦手なことっていっぱいある。
ダメなところもいっぱいある。
気づいていて、克服しようとしているところもある。
きっと自分では気づけていないところもあるんだと思う。

そんな中から1個、苦手なことを紹介したい。

それが「決める」こと。
なかでも、自分以外の誰かに対して決めること、だ。


自分のことであれば、むしろ決めるのはめちゃくちゃ得意だと思っている。だって決めたことをすべて自分が背負っていけばいいんだから。やり切ればいいんだから。

自分のことをすごいとは当然思わないけど、でも自分のことを信じてはいる。自分で決めたことであれば、その通りに従っていく。そうやってやり切ってきたし、それを楽しんできた。

何か〆切があっても、自分の直感で「いついつまでにやります」って決めたら、あとはやればいいだけ。そこは自分次第でなんとかなるんだから。


その一方で、自分以外の誰かのことを決めるのが苦手だ。

「いや、人のことを決める筋合いなんか、あなたにないでしょ」

というのは全くもってその通りで。自分もそのように育ってきた。だから自分に矢印を向けて、自分がどうするかで進めてきた。

だけど、”そう”とは限らないことがあることを社会人になって知った。
例えば仕事のスケジュール。

組織でもプロジェクトでも、何かを「管理」する立場に回った時、その主幹がロードマップを設計しなくてはならない。いついつまでにこれやって、いついつまでにあれやって。

やる側が「これ、いついつまでにやります!」というのも1つかもしれない。だけど、やっぱり主幹が描くスケジュールイメージってあるもので。期限を決めてあげることが、むしろ相手にとっては楽なこともある


それが自分にとって苦手なことの1つだ。

余裕のあるスケジュール感であれば、特に問題はないだろう。
難しいのが緊急のものに対して。

To自分であれば、「自分が頑張ればいい」で完結する話(そこも変えなきゃではあるものの)だ。

ただTo相手になると「相手のキャパ的に大丈夫かな」「余裕あるのかな」と勝手に想像してしまう。勝手に。

「配慮」と「遠慮」は違う。


そんなフレーズを耳にした。
まさしく、ここでいうところの「遠慮」をしてしまうんだろうな、と思う。遠慮って、相手を想像した先での自分を守る手段であって。自分で答えを出してしまっている

そういった意味では、「人のことを決める筋合いなんてない」に、実は矛盾してしまっているのだ。

一方で「配慮」は、相手のことを想像したうえで「これでどうですか?」という提案になる。つまりそこからは相手との対話だ。

今、この文章を書きながらその答えにたどり着くことが出来た。今まで遠慮していた自分は、矛盾したことをやっていたんだなと。


だから「配慮」をどんどんしていきたい。
メッセージを込めた配慮だ。どうしてこの提案にいたったのか、何を相手に求めるのか。そのうえで2の矢、3の矢も準備する。

それが「こっち」の出来ることなのかなと。


もっともっと、強くなっていきたい。


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塩浦良太
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