人事考課の期間です
わたくしごとですが、というか会社では現在絶賛人事考課の期間だ。
自分で半期の行動を評価し、振り返りをする。同じ質問項目に対し、上司が部下の行動を見て上司の視点で評価する。
昨日、上司と人事考課の面談をしてきた。
3年目を迎える今更ながら、
「人事考課ってすごく大切なタイミングだなぁ」
と思うようになってきている。
「そんなの誰もがとっくのとうにわかってるよ!」という声も聞こえてきそうだが、私も大切さが全く分からなかったわけじゃない。
でも、「ボーナスが、、、」とか「グレードが、、、」とかそういった部分を評価するための機会なんだろうな、くらいの感覚がずっとあった。
もちろんボーナスやグレードが大切じゃないわけじゃない。むしろすごく大切だったりもする。だけど入社当時の自分はあまりその部分に惹かれていなかった節もある。そこからいろんな仕事を経験して、いろんな人との関わりを通して、いろんな本や経験談を聞いて、そればっかりじゃない大切なことに気づいてきた。
それ以外の大切なこと。そう、
❝主観と客観のすり合わせ❞
だ。
まだ「ん?」と感じの人もいるかもしれないので、もう少し解説を。
基本的に仕事って頑張る。
だってその対価がお給料として支払われているし、そもそも仕事にやりがいを持っていることだって多い。
だけどここで難しいのが、
自分では「頑張っている」と思っているつもりでも、それが第三者には伝わっていないことだってあり得るのだ。ちょっと厳しい言い方になるかもしれないが、”働く”ということに置いて「自分は頑張っている」という主観って、自分を褒めるためとか、モチベーションアップのためにはいいけど、客観的評価においてはそこまで役に立たないと思っていて。
第三者はあなたの想いや背景をそこまで知らない。幼馴染であれば多少は知っているかもだけど、幼馴染でさえも仕事となればそこは切り離してくるかもしれない。
自分が自分を評価していろいろ決められる立場ならまだ違うとは思う。だけどそれって社長レベルまでいかないとそうならないと思うし、社長でさえ別の方に評価されているだろう。
そう、評価をするのは第三者。自分じゃない。
そういった意味で人事考課は、
「自分の頑張り」と「他者から見た”自分の頑張り”」をすり合わせる貴重なタイミング
なのだ。
働くって、「自分なりに頑張る」だけじゃ通用しない。
これは自分なりに頑張ることを否定しているわけではなくて。自分なりに頑張ったうえで+αの話。
その行動の対価が会社に利益を向くことで、その対価としてお給料が支払われるのだから。見るべき、考えるべき対象が自分だけじゃなくなってきているのが「働く」ということであり、「大人になる」っていうことな気がしている。
「自分なりに頑張る」からの脱却が出来るチャンスって若いうちだけだと思っていて。大人になればなるほど”言って”くれる人って少なくなる。
若いうちに言ってくれる人の言葉を受け止め、行動を変えていく。もしくはいいところは継続していく。それが大切な気がする。そうしないと勘違いしたまま大人になっていく気がしちゃう。それはやだ。
こういうことに気づけ始めたのは、少し大人になった証拠かも、、と自分を甘やかしていくスタイル(笑)