棚卸すことの重要性
最近、改めて自分が今やっている業務の棚卸しを行っている。
「いや、定期的にやんなさいよ」
と言われたら全くもってその通りで。何もやっていないわけではなくて、大枠の整理、「今何がどんな進捗なのか」みたいな整理は週次で行っているのだが、じゃあ1個1個のテーマに対してどういった作業項目があってどういった頻度でやって…、みたいな細かい棲み分けはあまりできていなかった。
半年前に広報になって、困りごとの確認や成果物の最終的なジャッジは上司への依頼になるが、それら基本的な遂行はほぼ自分1人ということもあり、どこかで「整理している時間がもったいない」となっている状態だった(よろしくない)。
ただそれくらいすぐに対応すべきことがあった、といえばやりがいはすごくあった。
とは言いつつも、ありがたいことに2025年は「チーム」になろうとしている。そう、自分以外にも専任で入ってくるのだ。
となったときにだ。
ちゃんと業務の棚卸をしないと、どういった役割分担をするとか、どこまで伝えてどこはまだ伝えていないか、みたいな整理ができなくなってしまう。「自分が分かっていればいい」では通用しなくなる。
そういったわけで業務の棚卸をしてみたのだが、卸してみたその業務量の多さというか、細かさというか、工程の数に自分でもびっくりした。それらを頭の中で考えて感覚でやっていたことに対し、「よくここまでやってきた」という気持ちと、「ちゃんと標準化しておかないと危ないよな」となった。
今は元気な自分でも、いつ何が起こるかわからない。それが人生だ。
これは悲観でも何でもなく、現実問題としてあるわけで。何ならつい1年前まで支援員としていたところは、脳卒中になられた方が就職・復職を目指している場所。
という方を近くで見て一緒に活動してきた。現実問題としてそういった可能性があるのだ。
自分がどうしていくかは、その時の自分として考えればいいけど、そこで残された側は何も残っていなければ当然何もできない。
「形」にしておくことは今いるものの役目でもある。
ということで、業務の棚卸というのは常日頃、定期的にやっていきたいものだ。