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雑にならないように
先日のXでの投稿を引用させていただいて。
「これでいい」じゃなくて「これがいい」理由をちゃんと言語化しておくことは習慣にしておきたいですね。どんなに慌ただしくなっても、そこだけは雑にならないように。
— 塩浦良太|リハス広報 (@ryota_s006) November 18, 2024
これは考え方の共有というニュアンスよりも、自戒を込めた自分への宣言といったニュアンス成分を多く含みます。
世の中には本当にいいものが溢れているなと
それに加えて何かを選択する機会はめちゃくちゃ多いです。
毎日が何かの選択の連続。
それでいて毎日がせわしないもので。
1日が24時間て誰が決めたんだ、と思います。
足りない。でも24時間って決まっているからこそ時間に価値を感じているんだと思うとこれまた面白いものです。
そんなことはどうでもよくて。
そういった選択肢が多い中で、せわしない中でやりがちなのが”1個1個の選択が雑に”なっていくこと。「これでいいや」なんてのは一番危ないなと感じます。
だけどその気持ちもわかるんです。
どれも質が高いから大きな失敗ってめったにないしし、選んだものを正解にするみたいな心意気もあったりします。
でも、いやだからこそ、もっともっと自分の選択に対して意味づけをしていきたいなと思うんです。そして「何を選んでもいい」時代だからこそ、意味づけて選んだものに価値が生まれるし、選ばれる側は嬉しだを感じるんだと思うんです。
これがいい。
子供の頃は大事にしていた感覚なはず。
「あれ買って」
「ここ行きたい」
「○○食べたい」
いつもそこには子供なりの理由があって、それを言ってるんだと思うんです。傍から見ればワガママにうつることもあるかもだけど、でも裏を返せばそれは子供にとっての明確な意思で。
意思があるってすごい大事なことなんだということに、大人になってから気づくってまた不思議なものです。
選ぶって大切な大切な自分の意思表示の場で。
自分の「自分らしさ」を出す場でもあります。
相手に対して自分を見せる、という意味でも、
自分自身に対して「自分はこういう人間なんだ」と再確認をする意味でも、選ぶことは雑にならないようにしていきたいものです。
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