言語化される魅力、されない魅力
noteを書いていくうえで、一つ身につけたい力が「言語化する」力である。
「すごい」「素敵」「やばい」「エモい」
抽象的な言葉が溢れている中で、いかにその言葉の意味をわかりやすく相手に伝えるか、自分で理解できているか、この力を持っているかどうかで今後差別化が起こる気がしていたからだ。
だから私のnoteの記事では「○○の言語化」というものを何度か書いていて、意識的に言語化することを習慣にしようとしてきた。
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そんな中、つい先日あるインタビュー記事を見つけた。
「とにかくヤバいものを作りたい」という気持ちが高まってたんですよね。非常に漠然としてるんですけど(笑)
これは星野源さんが新曲である「創造」の発表にあたってインタビューされている記事の中に登場してくる言葉である。
新曲「創造」は、任天堂のゲームソフト「スーパーマリオブラザーズ」35周年テーマソングのオファーから生まれた楽曲である。
クリエイティブさに長けている星野源さんから「なんかヤバいものを」「なんかすごいものを」という言葉が出てくることが意外だった。
説明をされがちで、言語化をされがちな今の時代にあえて言語化できないもの、それを目的としないものをつくる魅力について自分なりに考えてみた。
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言語化することの魅力
そもそも言語化することの魅力って何なのだろうか。
わかりやすさ、再現性、イメージのしやすさ、思考の細分化、説明する力
似たような言葉も並んでしまったが、大体こんなイメージである。
やはり人に何かを説明するとき、言語化されていることって必要な要素の一つだと思う。自分の思考を言葉で細分化して、伝える。
そうるれば相手もイメージしやすく、再現性も増す。
例えば後輩に野球のプレーを教える時も、”どういったところに気を付けているか”言語化して伝えることでイメージしやすくなる。
ヒット曲やヒットコンテンツも、どういった仕組みのモノが人気なのかを言語化することで、時代の流れが読めてきて、人気になる傾向を掴めるかもしれない。
ただ一方で、言語化はある種「答え」を提示していることになっているとも思う。
「私の定義はこうです」
「こう解釈しています」
「こうすれば人気になります」
もちろんその「答え」は人それぞれによって違うこともあるため、一概に悪いとは言えないが、中にはその言語化されているものを見てその解釈のまま受け取ってしまうこともある。
少し言い方が難しいのだが、
言語化されないことの魅力
じゃあ言語化されていないことの魅力とは何か。
曲を例に考えてみる。
言語化されている例を考えると、
「この曲は○○の部分の歌詞がよくて、○○の楽器がよくて、○○の・・」
というイメージである。曲のどこが注目ポイントか、どこを聞いてほしいのかというのがわかりやすく伝わる。だから「こういう解釈をしてほしい」という想いを伝えるときには最適な伝え方だと思う。
一方で、言語化されてしまうとその部分ばかりに注目してしまって、他の部分が入ってこないということになりかねない。作成者にとってはそうでもなくても、実は他の部分でめちゃくちゃすごいところとか、考えさせられるところがあるのに、注目するポイントを提示されている分、気づかずにスルーしてしまった、という感じだろうか。
言語化されていなければ、
「あ、ここいいじゃん」「ここもなんかいい」
と気づきの幅が広が入り、また何度も楽しむことが出来る。
ここまでは受け取り側の解釈で書いたが、星野源さんの場合はつくるうえでも合えて言語していなかったという。
いま何がトレンドなのかよくわからないというのもあるんですけど(笑)、今回は音楽的に参考にしたものがなくて。とにかく自分が想像する「やばいもの」「すごいもの」に向かって進んでいったら、こうなってたというか
言語化されているもの=正解、を頼りにするのではなく、言語化は出来ていないけど自分の中で思い描いている「すごいもの」に向かって進む。
「発明」とは言語化できないことを生み出すものだと思う。
最初にそこにはまだ名前がついていなくて、詳しい用途もわからなくて。でも今までにはないものだし、すごいものだということはわかる。
その時の感動、それは言語化されていないからこそ得られるものではないだろうか。
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話が複雑になってしまった。
つまり何が言いたいかというと、
「言語化したくなったらすればいいし、したくないものはしなくていい」
ということだ。
我々はついつい物事を二項対立的に考えてしまう。
片方がよくて、片方が悪い。言語化することがよくて、言語化できていないことは悪い、みたいな。
でも言語化してわかりやすくなるものもあれば、言語化することでなんか気持ちが冷めてしまうものもある。
だから良い悪いではなく、言語化してもいいし、しなくてもいい。
したほうがいいときすればいいし、したくなったらすればいい。
二項対立ではなく、交わっているのだという考えであることが大事だな、と思った。