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〝なんど〟か〝なんと〟か。

人に何かを伝えるとき、教えるとき、

なんど言ったらわかるのか

と捉えるか、

なんと言ったらわかるのか

捉えるか。

どちらの解釈のスタンスに立つだろう。
こういった並べ方をすると、なんとなく後者の方がよくて前者はあまりよくないんだろうなということはわかる。

ただそうは言っても、それが「綺麗ごとだ」という解釈もまたわかる。
みんながみんな仏の心を持っているわけじゃないしし、自責で物事を考えられるわけではない。人間の通常の感情として、

「何度いったら理解してくれるんだろう…」

という気持ちになるのは起こることだと思っている。これ自体は悪いことじゃないと思うし、私自身も全く持ってその感情にならないかというと自信を持って頷くことは出来ない。自分の感情の状態、余裕感によっても変わってくる。

だから出来ないことを最初からやろうとするんじゃなくて、大事なのはそこに+αを加えることで。

ここでの+αは「なんといったらわかるか」まで考えること。

なんどいったらわかるかと嘆いても、嘆いて状況が変わるわけじゃない。もちろん相手にも理解してもらうよう促していきたいが、自分ができるのは「なんといったらわかるか」探り、試すこと。出来ることはやらないと。

理解されなくて困るのが自分だったら尚更ね。待っていても変わらないから。

自分に出来ることをして待つのみ。
自分に出来ることをせずに嘆くだけで終わらない。

ただそれだけ。

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塩浦良太
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