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緊張ってするもの

みなさんは「緊張」をどのように考えているだろうか。
どうすれば緊張しないかをずっと考えていたころがあった。

緊張って疲れる。
逃げ出したくなる。
寿命が縮まる感覚がする。

でもその緊張を乗り越えた先の達成感は何にも代えがたいものがある。
だけどやっぱりしなくていいなら緊張はしたくない。

この永遠ループ。


そうやって緊張しない方法を考えに考えた結果、1つの結論にたどり着いた。

「緊張ってするものだ」

ということに。

わからない、もしかしたら世の中には本当にどんな場面でも緊張しない人がいるのかもしれない。ただ少なくとも自分はそんなに強くない。

緊張する/しないの考え方って、コインの表/裏みたいな感覚だと思う。
私が考える「緊張はするもの」という考え方は緊張の度合いが1~100の感覚。緊張はする前提で、それが大きいか小さいかの違いなだけ。

要は自分が抱える緊張をどこまで抑えることができるか、どこまで楽しむことができるか、そこに目を向けたほうがいいんじゃないかというわけ。

自分のこれまでの人生を考えてみたとき、緊張に限らず、多くのものを自分なりの「天秤」ではかっていたなと思う。

何か行動を決断する時も、挑戦することで得られるメリットやワクワク挑戦しないことで得られるメリットや挑戦したことで起こりうるデメリットを天秤にかけ、重いほうに舵を切る。

緊張だって、不安とワクワクを天秤にかけ、不安のほうが大きいと「めちゃくちゃ緊張している、、、」となるし、ワクワクのほうが大きいと「緊張するけど楽しみ!」となる。

だから要はどれだけ緊張の数値を減らすか、もしくはワクワクの数値を増やすかが大事なわけで。

緊張の数値を減らすために必要なのは、やっぱり「準備」なんだと思う。
我ながら自分は準備人間だと思っている。

自分の座右の銘として、

「石橋を叩いて踊る」

という言葉がある。造語だが(笑)

石橋を叩いて渡る、というのはことわざで。用心のうえにも用心深く安全を確かめて物事を行うことを意味する。

自分は結構な心配性だからその気持ちがすごくわかる。ただその一方でちょっと天邪鬼なところもあって。心の中のリトル塩浦が、

「ただ渡るのはつまらないよね」

とささやく。準備に準備を重ねたうえで、最後は踊るように楽しもうよ、と。危険ラインはしっかり押さえて、その範囲で最大限ワクワクできるパフォーマンスをしようよ、と。

それが私の信条だ。


緊張はするもの。

あとはいかにその緊張をコントロールするか。
その緊張を力に変えるか。
緊張している自分を楽しむか。

そのために私は準備、練習を欠かさないというわけ。

「石橋を叩いて踊る」人生を全うするように。

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