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過去の頑張りは人生をかけて回収する

今日は久しぶりに回顧記事。

自分は学生時代、ずっと野球をやってきた。
小2から高3まで。

めっちゃ強豪!ってところでやっていたわけじゃない。
小学生の頃は6年生の代では公式戦1勝もできなかったし、中学生の頃は市内の大会でベスト4に入れただけで大盛り上がり。高校はちょっとレベル上がったが、それでも県のベスト8、16を彷徨っていた。

一体どれだけの時間を野球に費やしてきたんだろう。
特に高校なんてものすごかったと思う。

平日は週1の休み。その休みだって、自主練でグラウンドに行ってバット降ってた気がするし、練習の日だって19時まで全体練習して、グラウンドのライトを消さなきゃいけない20時30分までは毎日残ってた。土日は毎回1日練習。野球以外の時間なんて基本なかった気がする。

周りの友達は部活をしながらも旅行行ったり、恋愛したり、それぞれの高校生ライフを満喫しているようだった。だけどそれを別に羨ましいと思わなかったのもまた事実。

夏休みなんてお盆以外なかったし、年末年始も数えるほどの休みのみ。それでいて”自称進学校”だったから勉強もちゃんとしなきゃいけない。今考えれば相当な稼働量。それで自分がプロ野球選手にでもなってれば意味はつながるが、そんなの微塵もかすってない。

今となってはたまに、

(野球やってなかったらどういった人生歩んでるんだろう・・・)

というパラレルワールドを想像することはある。

だけどだからといって「野球をやらなきゃよかった」なんて選択肢は毛頭ない。というかすごく楽しかったし、すごく充実していたし、やり直したいなんて思ったことは1回もない。

でも不思議だ。
「なんであんなに頑張れていたんだろう?」って。

だってほかにもいろんな誘惑がある中で、野球ただ1つを選んで突き進んでいた。それでいて例えば「甲子園」という掲げていた目標を達成できているのであればちょっと話は違うが、そこには届かなかった。だけどなんの後悔も未練もない。

きっと「目指すものがある」って人を夢中にさせるんだな、と思う。
しかもそれを1人じゃなくて、同じ想いの仲間がいっぱいいるってその勢いをより加速させるんだな、と思う。

多分1人じゃ無理だった。途中でダレていたかもしれない。
でも近くで頑張っている仲間がいたから、「自分も負けていられない」という気持ちになったし、「こいつと一緒に目標を実現するために自分も力つけんと」となった。

だからきつい練習も、休みのない日々も、筋肉痛でさえも苦じゃなくて。ただただ真っすぐに走り続けてこれたんだと思う。「頑張る」ということが苦行じゃなくて、楽しみだったんだと思う。

確かに目標を実現できなかったことに関しては、”努力は報われなかった”のかもしれない。だけど野球人生が終わったからといって自分の人生も終わったわけじゃなくて。少なくとも野球の時に頑張っていたことは今の自分に活きている。それに過去の頑張りは自分次第で残りの人生で回収できる

野球やってたおかげで身についた筋肉あるし、身についた考え方があるし、出会えた人がいる。なんならすでにおつりができるくらい回収できているし、まだまだ回収するつもりだ。


一番の回収できた部分としてはやっぱり考え方。

自分が「やる」と決めたことは、たとえその過程が苦しくても信じてやり続けていれば何かしらの「回収」が得られるということ。大事なのは”やらされる”じゃなくて自分で”やる”と決めたこと。

だからしんどいことがあっても、

「どうやってこれを、人生をかけて回収していこうかな、、」

とニンマリ顔なのは、ここだけの内緒。

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塩浦良太
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