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自分の普通、あなたの普通

最近SNSで気になる記事を見つけた。それがこちら。

日々の業務上、ランディングページやバナー、チラシなどを作成することもある中で「デザイン」というのは決して他人事ではないと思った。

漫画から記事はスタートし、そこから解説が始まる。詳しい内容自体はぜひ読んでいただきたい。全員が関係する部分だと思う。


「普通」が包含するものとは


端的に言うと、「普通」というものを考えさせられる内容だった。

”色”というのは、世間一般的に「普通」と呼ばれる人たちによって定義がされている。赤はこんな色、青はこんな色、緑はこんな色、って。

だけど全員が同じように見えているのだろうか。
実はそうではない。中には「色盲」と呼ばれる方もいる。

「普通」の人たちが見えている色が見えていない。だけどそれがどう見えているか、を伝えることはできない。前提として「見えていない」のだから。だからそこでお互いにギャップが生まれる。

では、見えていないのが悪いことなのだろうか。
見えていることが普通なのだろうか。

「普通」というのは一体何を含んでいるのだろうか。
「普通じゃない」状態とは一体どんな状態なのだろうか。

悲しいかな、今の時代は一般的=多数派の見え方が「普通」と定義され、その普通に従い、様々なものがつくられていく。


デザインは民衆により、民衆のためにつくられる


記事内の個人的なパンチライン。
それが、「デザインは民衆により、民衆のためにつくられる」

多数派中心で進められている物事の裏に、疎外されてしまう人たちがいる。だけどデザインの根源、芸術の根源は民衆により、民衆のためにつくられるものである。

では、「民衆」は一体誰を指すのだろうか。
言わずもがな、”すべての人”であってしかるべきだ。

じゃあ一体どれだけのデザインが、その”すべての人”を想定できているだろうか。


出来ることは何か


ただここで課題になってくるのが「何ができるのか」ということ。

でもね、まずは「これが見えていない可能性がある」ということを意識しておくことからでもいいんじゃないかと。意識下に置くところからのスタートで。もちろん最初から”見せる”技術が備わっていたら、それに越したことはない。けど、難しいのが正直なところ。

だけど意識することは今からできるし、学ぶことも今からできる。
アクセシビリティについて学んだり、いろんなWEBサイトを見てみたり、とにかくまずは情報を蓄えることから。そして試すことから。


そしてなによりも、
デザインに限らず、自分の普通がすべての人にとっての普通ではないということ。そもそも普通って何なのかを考え続けること。

これは意識していきたいなって思う。


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塩浦良太
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