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「許せない」の価値観の合致

人にはそれぞれ自分が大切にしたい価値観があると思う。


例えば「人のために頑張る」だとか。
例えば「自分が楽しいと思うことをやる」だとか。
例えば「人に感動を届ける」とか。

正直な話、大切にしたい価値観が一緒である必要はないと思っていて。

決まりきった正解がないのと同じように、それぞれにそれぞれの大切な価値観があってよくて。それらを尊重すればよくて。

たとえ大切な価値観が一緒じゃなくても、「大事にしたい部分がある」ということに関しては同じだから、自分の中でのモノサシが増えるという意味ではむしろたくさんの価値観に触れることは大事なことなんじゃないかと思っている。

人間としての幅が広がるから。

ひいてはそれが組織としての幅の広がりにもつながる。

ただその一方で何か一緒に事を成すなら、「許せない」の価値観は合う人がいいなと思っている。嫌な価値観、許せない価値観の部分。

例えば私が今ぱっと浮かぶのは、

「自分のことを棚に上げるために、他のだれかを落とすこと」

だ。

「いや、そんなのみんな嫌だよ」と思う人もいるかもしれない。きっとその人とは許せない価値観が合うと思う。

中にはそうじゃない人もいる。

別にそうじゃない人のことが悪いとは言っていない。価値観が合わないだけだ。

でも中にはいる。

「なんでそんなこともできないの?」
「勝手になんかしないで」
「言われたこと忘れたの?」

注意してくれる相手って必要だ。

だから一概にこういった指摘が悪いとは言わない。もちろん言い方というものはあるが。

でも中には、こういったことを言っておきながら、

「じゃああなたは出来ているの?」

と言いたくなる時もある。そこまできつく言っているけどあなたはできてますか、と。

返す返すになってしまうが、私は人間完璧である必要はないと思っている。そりゃ完璧であるに越したことはないけれど実際それって難しくて。やっぱろどこか足りないところがあって。足りないところを補い合ってなんとか成り立っている。

だから「完璧じゃないから私は言えない」と卑屈になることはないと思う。言われないと気付かないことってあるから。

だから全然気になったところはガンガンいうべきだと思っていて。ただ言うときに忘れちゃいけないのは、

「じゃあ自分はできているかな?」

と問いかけること。

できていなくてもいいけれど、できているかは問いかけたい。
そうすることできっと言葉選びって変わってくる。

言葉はブーメランだ。

せめて自分がブーメランを投げていることに気づきたい。
投げっぱなしで、相手にばかり攻撃した自分はそれを受け止めない。

そんな理不尽は許せない。


きっとその背景にあるのは、「自分のことを大切にしたい」価値観なのかもしれない。自分の気に入らないものはできるだけ注意して直してもらいたい、のか。

「自分のことを大切にしたい」という価値観には大賛成だ。
だってみんな自分のことは大好きだから。

でも大切にするやり方ってある。

それが相手を下げて自分を大切にするのであれば、そこは私は許せない価値観になる。それならば自分を下げて相手を上げる人の方がよっぽどいい。

それか自分も上げて相手も上げる。


せっかく組織で動くなら、こういった許せない価値観が合う人がいい。

それは別に一つじゃなくていい。むしろ複数重なる部分があるのなら、組織としての思いはより強固になる。

定期的にこの「許せない」の共有は大事にしていきたい。


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塩浦良太
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