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比べれんのよ、人なんて。

「比べれんのよ、人なんて」

そう思う自分がいる。

言い方を変えるとすれば、
「人と比べちゃいけない。比べるなら記録だったり、数値だったり、そういった❝人❞じゃないもの」
といったところだろう。

隣の芝生は青く見える

そういった言葉があるように、私たちは何かあるとすぐに自分とは違うものを持っている人を羨ましく思ってしまう。そして自分とその相手を比較してしまう。

比べるという行為の全てが悪いとは思わない。

例えば記録だったり、過去最高成績だったり、テストの点数だったり。
そういった数値とか記録的な側面であれば比べてもいいと思う。
むしろそういった部分で比べ合い、ライバル意識を持つことがモチベーションアップにつながることがある。

比べない方がいい、というか、
「そんなの比べられんのよ」と思うのが、
人の考え方とか能力とか価値観とか置かれている環境だ。

就労支援という仕事で多くの人に関わっていると、本当に多くの価値観に触れることが出来る。

自分以外の周りの人に全く関心を持たない方もいれば、中には「あの人はこれできるのに、自分は全然できていない、、」と周りが見えすぎる方もいる。周りが見えすぎている方に限って、自分が見えていないという傾向がある。あなたが思っている以上に、あなたは出来ることが多いのに。

だからその時は繰り返し伝えている。

「○○さんは△△さんと比較する必要なんてないんです。○○さんだって最初の状態から比べれば、ーーとーー出来るようになってるじゃないですか」

と。

自分が不安な状況に追い込まれると、周りの出来ている部分ばかりが目に入ってくる。でもその方だって出来ている部分ばかりじゃない。出来ていない部分だってたくさんある。違う悩みや苦しさを抱えている。だから単純比較できるものじゃない。

これに気づくことって難しい。きっと私だって、不安に追い込まれた状況だったら「あの人は、、、」と言ってしまうかもしれない。そういう時こそ、第三者の存在が必要だと思い、日々の支援は意識している。


もう一つ「比べる」の観点から言うと。
何か自分が辛い状況に追い込まれたとき、

「でもあの人に比べたら自分なんてまだまだ楽な方なんだから我慢しなきゃ」

とか、逆に

「あの人より私の方が大変な状況なのに、なんでわかってくれないの?」

みたいな感情の比較をしてしまうことってたまにある。これも危ない。

だって「大変さ」とか「つらさ」の大きさなんて、どうやって大小を測るというんだろうか。何かサイズが決まってるんだろうか、いや決まっていない。

自分にとって辛いことが、他の誰かからしてみれば平気なことだってある。
逆に自分にとって楽なことが、他の誰かにとっては辛いことだってある。

辛いか平気かなんて、周りが決めることじゃなくて本人が決めること。

変に周りを気を遣って自分自身を追い込む必要なんてないし、
勝手に周りを決めつけて自分の感情を押し付けるのもお門違い。

自分と他者は分けて考えないといけない。


結局、比べられんのよ、人なんて。
私はあなたじゃないし、あなたは私じゃないから。
私は私の価値観を築いていくしないし、
あなたはあなたの価値観を築いていくしかない。

自分のことを知ってほしかったら、その価値観を伝えておく。
それがコミュニケーションだと思う。


そしてそれこそが、
自分も周りも居心地いい関係づくりができる方法なんじゃないかって。


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塩浦良太
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