祖父の日記(サバン島抑留)032 ブラックキャンプ・運命・水浴
ブラックキャンプ 六月二十八日
椰子の葉で編んだ二枚のアンペラの上に、岡山県出身の篠田大尉と、小生と同期の仙台生の庄司大尉と三人で居を定められた。動けばきしむ板張りの上にアンペラを敷いてその奥へリュックを押し込み、蚊帳を細長く巻いて枕とした。
風の無い夜はむし暑く、蒲団代りに敷いた携帯天幕の上に、朝起きると自分の汗の跡が人型となって黒く濡れている。
一米の高さもない天井には、吾々と同様人々がひしめいて、その板張の上に又人が居る。真昼間はトタン葺の屋根が焼けて、僅かの間中食を摂る時、裸である躰も顔も汗に濡れて、腹の近く刻まれ る横皺を伝って汗がポタポタ下着の上にこぼれる。
吹き透す部屋に寝そべり一日は
生きてる吾を思いするかな
下船してなほ揺れ動く心地する
アンペラの上横になれども
運命 六月二十九日
藍色の濃い印度洋に浮かんでいる此の島は、毎日の様に海から陸へ強い風が吹き上げていた。
此の為に南洋ではつきものの藪蚊の襲撃もなく、 アンペラの上に夜は三人共、足と頭を交互にして就寝、狭い場所を少しでも広く使うことに苦心した。夜の空には吾々の心とは反対に、洗われた様に綺麗な、白い星が輝やき、特に南十字星は目に痛い程判っきりと光って映り、強い印象を与えてくれる。
印度洋の波は荒く、珊瑚礁を打つ音は地鳴りを立て、狂う様に跳び、躍り上り、夜空に白くしぶきを上げる。 吾々はボンヤリと鉄条網に寄って此の海を見たり、星を仰いだりする。そして何時までもくり返す波の音をきいて、自分の運命のめぐり合わせを考えたりした。
蚊の住まぬ此の島に来て今更に
情に似たるなさけ味はふ
雨降れば寝そべりつつも之からの
生くることなど考えて見たり
野に咲ける我花は今何処か
今日も仰向き天にぞ祈らむ
水浴 六月三十日
キャンプの所長はオランダ人で、階級は曹長である。背丈は我々日本人と大差なく、年令は三十才程度、世帯持ちの様だ。彼は終戦近くまで日本軍の捕虜として収容所生活をした経歴を持ち、日本人の性質も知り、接し方も心得ていた。
吾々の待遇には国際的な処置を考え幾分理解あるが如き態度をとっているが、内心欧米人特有の打算的傾向が見られ、特にオランダという貧乏国の意地汚なさが現れて嫌な気がする。
今日は全員監視兵に守られ、海辺に出て一群づつの水浴を許され た。その後砂浜で相撲をとらされた。相撲に出るのは朝鮮人が主で、 日本人は積極的に出なかった。茲にいる朝鮮人は、主に戦争中、欧米人俘虜収容所の監視に勤務していた為全員帰還を阻止せられ、日本軍属として戦犯容疑となっているのだが、彼等朝鮮人は此の日本軍としての処置を嫌い、自ら高麗人と称して吾々日本人との別待遇を望んでいる様だが、連合軍は敢えて之を取り上げず、只キャンプ内の日本人との話合いで、別棟に起居させ、作業も別行動をとらせていた。そして彼等は今迄日本人でありながら当時受けた属領人としての屈辱と圧迫を茲に反撥して、日本人に意識的に対抗した。
此の空気を知っている日本人は、今日海浜でオランダ人のすすめる相撲を避けることは当然であり、意味の無い彼等との相剋の生ずることを知っていた。
此のキャンプには朝鮮人八十名、台湾人二十名で、台湾人も朝鮮人同様の考えを持っていた。
すき透る蒼海に入り浸りけり
囹圄にくらすいまの此の身に
茶色の目茶色の眉の人なりき
オランダ人の近くに寄れば
何処かしら口はへの字に曲りいて
オランダ人の皮膚の色悪し
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