祖父の日記(サバン島抑留)035 南十字星・腹痛
八日という日 七月八日
「八日」という印象は忘れることが出来ない。昭和十六年十二月八日、日本興亡の運命を懸けた日米宣戦布告の日即ち「八日」である。
戦は何時か勝敗を決する。日本は今敗残を喫したのだ。 既に終戦一周年近くになるが、此の北スマトラ北端の離島では、 敗けた日本国民の故国での惨めさを伺い知る由もない。何んとかし日本の現況を知り度い、そして只戦犯容疑者の一人として、遠くから国民の幸を心から祈るのみ。
八日なれば過ぎ去りし日の思出に
吾国民の幸ひを祈る
南十字星 七月九日
上半身裸のまま、下半身は長ズボンを千切った半ズボンをはき、すっかり直射光線にも慣れた身体も顔も日焼けして、ドス黒い色をしている我々の姿だ。
そして一日の作業が終り、トラックに乗せられてキャンプに帰って来る。キャンプで夕食が済むと、消燈の九時迄はゆとりがあった。
南洋の夕暮れは早い。日本の様な薄暮の時間は殆んどなく、太陽がすっぽりと印度洋へ落ちると、もう夜の帳りがあたりを閉ざして仕舞う。そして昼の炎熱の激しさに代って涼しい夜風がやって来る。 此の風は我々の昼の苦しい作業のつかれを一ぺんに拭い去ってくれた。キャンプの隅に建つ望楼の監視兵の黒い影が動く頃、空の星の数も増して、見慣れた南十字星の輝きが一入美しく、寂とした四辺の叢に虫のすだく音も聞こえて、異郷の地に捕われの身をしばし忘れる心地がした。
日焼けせし我肌などを眺めつつ
夕暮れ時のあばらやに立つ
腹痛 七月十日
どうしたことか腹痛がする。宮本通訳を通じて作業休止を申出た。 オランダ人の軍医が診断してくれたが、投薬なしの休養である。キャンプ内の部室は何時も三人ギッシリのアンペラの上だが、今日は作業に出て誰も居ないので、一人で長々と伸びて見た。
床の敷板のきしりが妙に頭の芯にひびく。 ブラックキャンプの鉄条網傍の火力発電所のモーターの音が、腹痛に拍車をかける様ドッドッと伝わってくる。
仰向いて見上げる天井には、水で濡れた跡が黒く染みつき、此のしみの形の上に遠い日本の地図を当てはめて見た。そしてどうした原因で腹痛なのだろうと思った。
腹いため足どりゆるく歩めども
モーターの音腸にひびけり
腹痛止まず 七月十一日
腹痛の為キャンプ外作業を休む。
一人で庭の草取りである。パンカランブランタンの高松、森島の両人が心配して来てくれた。小生から遠去かる両人の後姿の何んとやせていることか。 やっぱり栄養不足か?
砂ぼこり立つ庭中にうずくまり
今日も祈りぬ野路菊の花
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