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書評『「みんなの学校」が教えてくれたこと』

 これは、ドキュメンタリー映画「みんなの学校」で知られた大阪市立大空小学校初代校長の木村泰子先生が、大空小での校長時代やご自身の半生を振り返って書かれた本です。

 私は木村先生の教育に対する考えや大空小学校のあり方に共感し、メディアなどでの木村先生の発信から学んできました。

 この本は積読になっていたのですが、時間ができたので手に取ってみたら、そのまま一気に読み終えてしまいました。

 木村先生が一貫して言い続けているのは、

 「すべての子どもの学習権を保障する学校をつくる」

こと。

 本の前半では、大空小で出会った多様性のある子どもたちとのエピソードについて、後半ではご自身の教育実習や教師としてのスタート、幼少時代などについて書かれています。

 ここでは、私が読んで印象に残った箇所を紹介しようと思います。

「見よう」と思わなくては「暗いところ」にいる子どもの心は見えない

 「木村さん、暗いところにいると、明るいところはよう見えるやろ。でもな。明るいところにおったら、暗いところは全然見えへん。明るいところにおって、暗いところを見よう思ったら『見よう』と思わな、見えへんのや」
  この言葉が、私の心の中に常にあります。
 「見よう」と思わなくては「暗いところ」にいる子供の心は見えません。そして、そうやって見ようとしてくれる大人のそばで、子供は初めて安心して笑顔を浮かべます。

 これは、木村さんが長年部落問題に取り組んでこられた方から言われたことです。
 「心ここに在らざれば、みえども見えず」
という言葉があります。
 子どもの表面的な行動ばかりではなく、その原因となっているところを見る力を備えたいです。

その子らしさの質を上げる

 私たちは、その子が「その子らしく」いられることを、まず優先順位の一番に置いて学校づくりをしてきました。「その子らしさの質を上げよう」と。それは、「その子の現状のままで良い」と言うのではありません。「その子の”ありのままの質”を上げよう」と言うことです。
 その質を上げるのは、子供同士の学び合いです。そして、その子のおかげで、周りの子供たちも、ものすごく育ちます。それこそが「学び合い、育ち合う」という教育の本質。教師の力量だけで補えるものではありません。むしろ大人は余計なことをしません。

 子どもの成長には教師など大人の関わりが欠かせないと思っていた時期もありましたが、今は大人が関わりすぎるのはよくないと思っています。
 学校生活でも授業でも、子供は自分たちの判断でできることがほとんどです。教師が自分の思うような学級や集団にしたいと思うのは、いささか横暴な気がします。特に部活動指導では、大人が指導しすぎることの負の面が大きいと感じます。

スーツケースではなく風呂敷

 45年間教育の現場にいた私からは、最近の学校はとても頑丈な「スーツケース」のように見えます。
 長い棒のように尖った子は、端っこをポキンと折らないと入れられない。
 まん丸の大きなボールのようの子だと、ふたが閉まらないからダメ。
  そんな子たちは、スーツケースに入れて運べません。 
 ところが、「風呂敷」だったらどうでしょう。大風呂敷を広げておけば、棒の端っこが出ていても、みんなでなんとか担げます。ボールもなんとか包めます。包み方はアバウトで、マニュアルがあるわけでもありません。

  同じ子供なんて一人もいないのに、学校はどこかで「規格」を統一しようとしています。その学校の「規格」から外れた子供にとって、学校は居づらい場所になってしまいます。学校があるから子供が来るのか、子供がいるから学校があるのか。
 誰のための学校なのか、考えないといけません。

教師が教え込むのではなく、「ともに学ぶ」

 「わからない漢字とかは、聞いてね」
 でも、尋ねる先は教師の私ではありません。友達に教えてもらうのです。「僕もわからへんねん」となったら、一緒に辞書で調べます。教師が教え込むのではなく「ともに学ぶ」が当たり前。「わかる子に聞けば、わからない子もわかる。わかる子はもっとわかる」がメソッドの原点です。教えるほうも、うまく説明できないと、「あ、もしかしたら、私もしっかりわかってへんかったわ」ともう一度学び始めました。

 これは、教育実習時の担当教官「ハラ先生」がされていたメソッドを追実践したときのエピソードです。木村先生の教育実習時代にはすでにこのような指導法があったのですから、『学び合い』授業は決して最近のものなどではないのですね。

 木村先生ご自身も教師になってこの教え方をするのに困難さを感じたように、今現在も、子供同士の『学びあい』授業をするには少し勇気がいるようです。私のように40代後半ともなれば、何も気にせずできます。若い先生方にはどんどんやっていただけるよう、環境づくりをしていきたいと思います。

学校はあるものではなく、つくるもの

 モンスターペアレントはいないのですかとよく聞かれるのですが、学校の構造的に「モンスター化」されないだけだと思います。言い換えれば、学校がモンスターをつくっているのかもしれません。
 学校はあるものではなく、つくるもの。
 学びの主体である子ども自らがつくる。サポーター(保護者)が、自分の子どもの学校を自分がつくる。地域の人が、地域の宝が学ぶ地域の学校を自分がつくる。教職員が、自分の働く学校を自分がつくる。これが「大空の学校づくりの理念」です。教職員が、自分の働く学校を自分が作る。
 だから、「文句は一切受けつけません。未来がないので。でも、意見は主体があるから、どんな意見でも出し合いましょう」と、サポーターにいつも言っています。

 今から10年以上前、「モンスターペアレント」という言葉がこの世に出てきたときには驚きましたが、学校にとって耳障りなことをすべて「モンスターペアレント」という言葉で括ってしまうと、自分たちの課題が見えなくなってしまいます。

 これからは、今まで以上に地域に開かれた学校にしていかなければなりません。地域のための学校であり、子供たちは地域の宝、未来です。

 私たち教職員は「風」のような存在だと木村先生はよく仰っています。教職員は退職や異動で学校を去る時がきます。そうなったとしても変わらないのが「みんなの学校」なのだと、読了して強く思いました。

 私立の学校にあって公立の学校にないものは「理念」だと言った方がおられます。
 私も同感でした。しかし大空小学校には「すべての子どもの学習権を保障する学校をつくる」という理念があります。

 休校期間が続き閉塞感が漂う今、木村校長ならどんな学校経営をするか、考えてみたいと思いました。

木村先生の公式な動画は以下で見ることができます。
お時間のある方は是非ご覧ください。


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