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原書のすゝめ:#28 Going Solo

私の読書のジャンルは、狭い。
これについてはすでに自分で確認済みである。

とはいえ、読書というのは基本的に自分の嗜好に基づいて発動されるものであるから、これは致し方ない。

そこで、重宝するのが友人たちである。なぜなら、自分が知らない本の存在を教えてくれるからだ。自分では到底見つけられなかったであろう本を目の前に差し出されると、思わず心が躍る。

そして、この本もそんな一冊だった。

Roald Dahl の『Going Solo』
(邦題:『単独飛行』)。


ロアルド・ダールといえば、児童文学の『マチルド』や『チャーリーとチョコレート工場』、小説『あなたの知らない私』などが有名だが、私はいずれも読んだことがなく、未知の作家だった。

そこへ、未知の作家の、未知の作品である本書をある友人が教えてくれたのだった。貸してもらった本を早速繙くと、地図や当時の写真が随所に散りばめられており、いかにも生き生きとしている。ロアルド・ダールの青年期の自伝。これはかなり有望だ。


* * *

1938年の秋、筆者は<マントラ号>という名の老朽船に乗ってイギリスからアフリカへ出航する。ロンドンからモンバサまでは約二週間の船旅で、途中の寄港地はマルセイユ、マルタ、スエズ、ポート・スーダン、アデンということから、大西洋ではなくジブラルタル経由で、地中海からスエズ運河(1869年開通)を抜けてインド洋へ出る航路であることがわかる。

勤務先のシェル・カンパニーと任期三年の契約で赴任先である東アフリカへ向かうのだが、このとき筆者20歳。第二次世界大戦勃発前夜のことである。


< 本書より >


The Voyage Out


 What I still remember so clearly about that voyage is the extraordinary behaviour of my fellow passengers. I had never before encountered that peculiar Empire-building breed of Englishman who spends his whole life working in distant corners of British territory. Please do not forget that in the 1930s the British Empire was still very much the British Empire, and the men and women who kept it going were a race of people that most of you have never encountered and now you never will. I consider myself very lucky to have caught a glimpse of this rare species while it still roamed the forests and foot-hills of the earth, for today it is totally extinct.


 この船でいまだに鮮明に記憶しているのは、仲間の船客たちの風変わりな言動である。わたしが大英帝国領土の僻地で働いて生涯を送る、これら一種独特の帝国主義的なイギリス人集団と会ったのは、このときがはじめてだった。一九三〇年代といえば、大英帝国は昔日の栄光いまだ衰えず。帝国を支えていた男女は、読者の大部分が会ったこともなく、これからも会う機会などありそうもない種族であったことを忘れないでいただきたい。この希少な種族が地球上の森や山のふもとを歩きまわっているうちに、彼らを一眼見ることができたのは、わたしにとってたいそう幸運だったと思う。なぜならその後彼らは完全に絶滅してしまったからである。

<『単独飛行』永井淳訳(早川書房) >


皮肉の利いた文章はいかにもイギリス人らしいが、実際ダールが船上で会ったのは、スワヒリ語やインドの方言が混じった「特殊語」を話し、行動もじつに奇妙な人々だった。

たとえば、早朝全裸でデッキを駆け回るグリフィスス少佐。どうやら健康を維持するためだそうだが、なんとその妻までもが全裸でデッキを駆け回っている。筆者は自室の舷窓からその姿を見て好奇心を募らせるが、少佐に「君も一緒にどうかね?」と誘われ、覗き見をしたことと自分が全裸で走り回ることを想像して羞恥心でいっぱいになる。

さらに、ケニアの高原に小さなコーヒー農園を持つ「指嫌い」の老婦人や、「フケ症」の男など、一風変わったイギリス人の生態が面白おかしく描かれている。

やがて船は、ダル・エス・サラームに到着。
子供ボーイ(実際は青年だが)と呼ばれるアフリカ人の世話係を含め、現地の人々は英語が話せない。そのため、必然的に筆者はスワヒリ語を学ぶことになる。そのスワヒリ語についてダールは、

Swahili is relatively simple language with the help a Swahili-English dictionary, grammar book plus some hard work in the evenings.

< 同書より >

と述べている。
スワヒリ語は比較的単純な言語なので、辞書と文法書を使ってちょいとばかり頑張って勉強すればそこそこ理解できるものらしい。(本当か、ダール?)

さて、こうしてアフリカの生活が始まるのだが、ライオンがコックの妻を口に咥えてさらっていったり、マンバと呼ばれる猛毒の蛇とスネークハンターの手に汗握る駆け引きが繰り広げられたり、ダールのユーモア溢れる筆致が本書を小説以上の物語に仕立てている。


一方、ヨーロッパではついに第二次世界大戦が勃発し、アフリカにいる筆者をはじめとするイギリス人たちも戦争に巻き込まれていく。

ダールは志願兵として英国空軍(RAF)に入隊するためナイロビへと向かう。そこで飛行訓練に参加した後、分隊に合流するために単独で飛行中、敵機に撃墜され(後に味方の飛行ルートの指示ミスと判明)、大怪我を負って病院に運び込まれた。

そして、1941年、ダールはギリシャ戦線へ配置された原隊へ再び復帰するため、単独でギリシャへ飛ぶ。


So this was Greece. And what different place from the hot and sandy Egypt I had left behind me some five hours before. Over here it was springtime and the sky a milky-blue and the air just pleasantly warm. A gentle breeze was blowing in from the sea beyond Piraeus and I turned my head and looked inland I saw only a couple of miles away a range of massive craggy mountains as bare as bones.

< 邦訳は省略 >


眼下に見える風景の描写が、簡潔で美しい。

この地でダールは、後にレスター伯となるはずだったDavid Coke と出会う。実戦経験がまるでないダールがギリシャ戦線で戦うことに驚くクックだったが、指導教官すら存在しない中、ダールはクックから空中戦の手ほどきをうけるのだった。

熾烈な戦闘下にありながら、敵機であるはずのドイツ機を撃ち落とした際には、パイロットがパラシュートで無事に脱出する様子を見てホッとしたり、哨戒中に牧歌的な風景に見惚れて戦争を忘れたりする場面はどこか人間味があり、宮崎駿監督の『紅の豚』を彷彿とさせる。

やがて、バルカン半島において圧倒的に有利な戦局を展開するドイツ軍によって、イギリス軍は本格的な撤退を迫られる。わずか15機のハリケーンで500機のメッサーシュミットとJu-88に立ち向かうという、無謀をはるかに超えた戦闘を生き残ったダールだったが、周囲では戦友たちを次々と失っていく。
1941年4月にエースパイロットのパット・パトルがアテネの、その年の末にはダールに多くのことを教えてくれたデーヴィッド・クックがリビアの空に散った。


ギリシャ戦線撤退後、パレスチナ・シリア戦線に加わったダールは、ハイファ近くの補助飛行場へ視察を命じられ、そこでユダヤ人亡命者と出会う。

そのユダヤ人と交わす会話が非常に印象的である。

‘We need a homeland,’ the man was saying. ‘We need a country of our own. Even the Zulus have Zululand. But we have nothing.’
‘You mean the Jews have no country?’
‘That’s exactly what I mean,’ he said. ‘It’s time we had one.’


ユダヤ人には国土がないのだと語る男に、
「だけど、一体どうやって国を手にいれるんです? 世界中のどこにも空いてる土地なんてないですよ」
とダールは反論する。さらに、
「僕らがヒトラーをやっつけたら、イギリスがあなた方にドイツをくれてやれるでしょう」
と冗談めかして言うと、男は、
「ドイツなんて要らない」
と答える。
しかしダールは、ますます無知な質問をする。
「それなら、どこの国だったらいいんです?」

男はダールの背を叩きながら、

 ‘You have a lot to learn,’ he said. ‘But you are a good boy. You are fighting for freedom. So am I.’

と言って、ダールを小屋から連れ出した。

A fight for freedom.
自由を求める戦い。

それは、実のところ何を意味しているのだろう。
自由とは何か? 祖国とは何か?


ダールの発言から、おそらく当時の多くの若者たちが大義やプロパガンダに踊らされて戦場に駆り出されたであろうことは想像に難くない。

現在にいたるパレスチナ問題の端緒が少なからずイギリスにあるにも関わらず、当の英国人であるダールが中東事情に対する認識を欠いているのは、なんとも皮肉な話である。


本書が書かれてからおよそ40年。
この作品の魅力は、今も色褪せてはいない。


< Roald Dahl >
< The Battle of Athene, 1941 >


最後に、レバノンに対する「武力」という最も醜悪な外交が、一刻も早く幕を閉じることを願ってやまない。


※冒頭の永井淳訳は、Kindleサンプルより抜粋しました。邦訳が手元にないため、それ以外の箇所は日本語訳を省略しています。(本文中の日本語は筆者の要約)。


<原書のすゝめ>シリーズ(28)

※この作品が収録されているマガジンはこちら↓


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