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期待せず諦め、歩くことで自分とふたりきりになるということ
気づけば3月も6日…秒速で過ぎていきますね。最近読んだ本から考えていたことについて。
本当に歩きながら書いたんだろうなということが伝わる作品。読む行為そのものが徒歩旅行のようにジャンルを行ったり来たり横断していく不思議な読書体験だった。初めてノルウェー文学なるものを読んだけど、書くこと、つまり言葉のみでこういうことができるのかと。https://t.co/uZltU80fZp
— 山口塁 Rui Yamaguchi (@rutty07z) February 28, 2024
作家業をしていた作者が結婚し子供をもうけたことで書くことから離れてしまった。そんな作者が家族と別れ、旅をし、また「書く」ということを取り戻していく実体験に基づく文学作品。
「歩くこと、または飼いならされずに詩的な人生を生きる術」というタイトルは、このnoteをお読みの皆さんなら分かるかもしれませんが僕の性癖にドンズバです。歩くためにパリに来ているみたいなもんですからね。
旅をしながら「孤独の起源は言葉に違いない」と作者が思い当たるシーンが印象的で、「手紙というのは孤独から解き放たれるためでなく、孤独に封をするために書かれたのではないか」という考えは、いま自分がこうしてnoteに文章を綴り、そしてSNSにポストすることも同じと言えるでしょう。
歩くことと書くことについて語る時に必ずと言っていいほど出てくるのが「社会契約論」でお馴染みジャン=ジャック・ルソー。ルソーは「書くことで敵を作り、書くことで孤立し、孤独になっていった」と本の中で出てきますが、これは色んな意味を含んでいると感じる。いまこのnoteを書いてる自分は完全に孤独な状態にいます。書く=考えるという行為は1人でないとできません。
歩くことで自分とふたりきりになる
パリには旅行、留学、就労、結婚、色んな形で滞在している日本人がいます。
例えば、そのひとつワーキングホリデービザを活用して来ている20代の生き方。
日本で働くことが嫌になってホリデーしに来た人、円安酷いからユーロ稼ぎたくて来た人、こっちで就職したくて来た人、とりあえずノリで来た人など多種多様。
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