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魔王と城と

 鬱蒼とした森を越え、太い茨に覆われた道を切り開き、高く険しい岩壁をよじ登ると現れるのは濃い霧に包まれた石の城。その城の空にはいつも、重たい積乱雲が固まったかのように存在し、雷の音が常に聞こえる。民たちは言う、あの城には世にも恐ろしい魔王が住んでいると。遥か昔からそう伝わっていると。

「我輩は魔王!この世の全てに破壊の雨を降らす者。我にかかれば、世界を牛耳るのもちょろいもの。人間共よ、恐怖に震えて眠るがいい!」

 魔王は深紅の大きな椅子に座り、誰に言うでもなく、低くねっとりと叫んでいた。漆黒の衣服とマントを羽織り、落ちる雷に笑う。
 そのとき部屋の扉がガチャリと開いた。上下グレーのジャージにスリッパ、頭にはティアラをのせた女性が紙袋をさげ、ただいまですと上機嫌に言いながら扉を閉めた。

「ああ、おかえり。おかえり!?」

 魔王は一度流れで出迎えたものの、早々おかしなことに気づいた。そんな魔王の声も聞かず、彼女は続ける。

「あそこにできたお店、スイーツの品揃え最高です!マカロンとかいろんな味あって、見ます?」

 紙袋を広げ、すでに座り込んでこちらを上目で見ている。そんな彼女を魔王は睨みつけながら問う。

「お前、姫だよなぁ」

「ええ」

「囚えて人質の姫だよなぁ」

「はい」

「城からどうやって出た?」

 姫は入ってきた扉の方をちらりと見る。

「内側からなら鍵、開けられますよ。入るのも開けっ放しで出ていけば問題ないです」

「うん、そうだな。戸締まり確認疎かにした。出放題、入り放題だ」

 うんうん、なるほど納得、とにこやかに自分のミスであることを認めた魔王だったが、考えるとやはりおかしい。

「いやいやいや、お前は姫なんだ。囚われの身としての立場をわきまえてだな――」

「あのですね、私の住んでいたお城まで、そんなに遠くないと思うんです」

 彼女は言葉を遮るように言う。

「まぁ、王子が助けにこられる程度の距離の立地だな」

 魔王は姫をさらってきたときを思い出す。自分には飛行能力があるので何とも言えないが、人間の足で換算してもそう遠くはないだろう。
 
「それではクエスチョンです」

「クエスチョン?」

 姫はおもむろに立ち上がった。唐突な問題に魔王の声は上ずる。

「私はここにどれくらい囚われているでしょうか?はい、魔王様どうぞ!」

「…………まる3年」

「そういうことじゃん」

 目を泳がせながら魔王は答えた。姫が正解か不正解かなのか教えてはくれなかったが、まぁ、そういうことなのだ。

「え? そんなに難攻不落なんです、ここ? 壁がゴゴゴゴーって動いたと思うやいなや、スパーンってとじるトラップとか置きました?」

 姫はどんな理由で王子が来ないのか考えに考えたが、もうそれは何が理由であれ、来ないことに怒りを感じていた。静かな口調であるが、聞いてとれる。
 魔王は、自らの城までの道を頭の中で確認してみた。王子の住む城、深い森、茨の道、岩壁、そして我が城。

「いや、わりと剣1本でいける、アスレチックみたいなやつしか――」

「そういうことじゃん。え、え? 何で、何で? クエスチョン?」

 先程とは比べものにならない大きい、そういうことじゃん、が魔王の言葉を遮った。アスレチックに3年もかけているわけは、もちろんわからず、姫は何度も、え? と繰り返す。

「狂った。あの、何かすまん。やっべぇトラップだらけって言ったほうが幸せだったかもしれんな」

「幸せ、幸せですか」

 平謝りする魔王の言葉に、姫は急に真顔になる。少し考え込むと、くるりと振り返り、魔王の目を見て少し落ち着いた声で語りかけた。

「ねぇ魔王様。私達同居して、3年たったってことですよね?」

「まあ、お前を囚えて3年だ――」

「名前教えて下さい」

「は?」

 照れ隠しなのか、姫は早口にお願いをする。そして魔王に近づき、羽織っているマントを掴み揺らした。

「いいじゃないですか! いつまでも魔王様は他人行儀な感じしません?」

「いや、他人なんだからいいだろう」

 魔王は冷たい声で返し、姫の手をはらうようにマントを翻した。
 だが、姫にとってはその声の冷たさより言葉の冷たさの方がひどく痛かった。

「え、3年も一緒なのに、他人?」

「どこまでも、魔王と姫は他人同士だろう」

 確かにいつまでも相容れない関係性かもしれない。そこまでの期待もしていなかったが、3年もの年月でほんの少し近寄っていた気がしていた。ちょっとだけ知りたい、そう感じてわがままを言ってみたが、思っていたよりも拒否されてしまった。

「そう、そうですか。ちょっと疲れてしまいました。塔に、戻ります……」

 そう言うと、彼女は魔王に背を向け、寂しそうにこの部屋から去った。


 ――我輩は魔王。この世の全てに破壊の雨を降らす者。我にかかれば、世界を牛耳るのもちょろいもの。人間共よ、恐怖に震えて眠るがいい。
 魔王は言い聞かせるようにつぶやく。そしてゆっくりと目をつぶり、あのときのことを思い出す。姫をさらってきてすぐのことだった。



 魔王はいつものように椅子に座り頬杖をついていた。今日も鳴り響く雷の音が心地よい。特に今日は雨も強く降っていた。
 そんな城に、大きな姫の声が響き渡る。

「あのー、ドレスが汚れてしまったのですけどー!」

 いらっとした魔王は眉間にシワを寄せ、怒鳴りつけた。

「は? 知らぬわ、静かにしろ!」

「寝泊まりしている塔の雨漏りがひどくて、ビショビショで風邪をひいてしまいます! 魔王様の世話をしろと言われましても、ドレスじゃ動きにくいんです!」

 姫は怒りの声を気にもせず、強気で魔王に話しかけ続けた。
 魔王はそのかしましさに根負けし、椅子から立ち上がって姫の方へと声を飛ばした。

「わかった、わぁーったよ。今日洗濯したスウェット着ろ」

 スウェットを着る魔王など、威厳が崩れるので言いたくはなかったが、この姫の大声を止められる方がまだマシだった。

「スウェットって何ですのー?」

「スウェット知らねぇのか! その、グレーのやつだよ」

「グレー? これですか?」

 魔王は無造作に落ちている洗濯物の中から、スウェットを遠くから指差した。姫はそれを掴んで着始めると、自分の着ていたドレスをポイッと床に落とした。
 姫には魔王のスウェットは大きい。丈はお尻が隠れるほど長く、袖もようやく指が出るほどだった。

「初めて見ましたこの色み。きちゃなー」

「きちゃなゆうな! 魔王のリラックスタイムカラーなんだから」

 スウェットの袖をぎりぎり出た指先でつかみ、腕を大きく広げる。まじまじとスウェットを見ると、姫は魔王に向かってつぶやく。

「いつも黒なのはいやなんですね」

「……だからなんだよ」

 魔王は不機嫌そうに口をとがらせた。そんな魔王を見て、姫はにこっとする。

「魔王様もあまり人間とお変わりないのですね」

「そんなわけねぇだろ!」

 急な大きい声に、姫は驚いて口に両手を当てる。

「圧倒的な力! 支配欲! 全ては世界を征服するためにあるのだ!!」

 魔王は息巻いた。人間と己は全く違う、己が上に立つ存在だと言い聞かせたかったのだった。

「いい匂い」

 そんな魔王の言葉は姫の耳には届いておらず、洗濯したスウェットの匂いに負けた。

「おま」

 魔王は髪の毛をがしがしとかくと、顔を一度しかめ、つばを飲んでこう言った。

「圧倒的な柔軟剤の威力だ!」

「ふーん」

 週に一度まとめて行う洗濯は、いつも面倒くさいものだった。ふわりと漂う石鹸の香りに、魔王の怒りはかき消される。

「あ、あと右側の塔、改修したばっかだから、そっちに移れ」

「はい」

 姫は笑顔だった。



 
 ――わかってるさ我輩だって。3年も一緒にいて気持ちが芽生えないわけではない。だけど我輩は魔王、あいつは王女。立場を考えたとき、それは鮮明に答えが出る。
 
「……3年たって今更甘えてくるんじゃねぇぇぇえ!! 俺は、5日で芽生えたわー!! あぁ、俺のスウェット、萌袖ぇ。」

 気持ちが溢れ出し、鼻息を荒げる。呼吸を落ち着かせた魔王は、あの日のことも思い出していた。



 姫は鉄格子のはめられた窓の淵に手をかけて、沼のような灰色の空を眺めていた。何度も何度も雷が落ちる。
 魔王はいつもと変わらず、深紅の大きな椅子に腰掛けている。

「ねぇ、魔王様」

「何だよ」

 また始まったな、と魔王は思った。ここまで一緒にいてわかったこと。姫は話しかけると、答えが返ってくるまで一歩も譲らない。だから話は付き合うことにしたのだ。

「このお城はいつも雨と雷ですね」

「あぁ、我輩がこの辺りの天候を支配しているからな」

「じゃあ、晴れにもできますの?」

「できてもしねぇよ」

 雨と雷は心地いい。意味を持たない騒がしさに魔王は耳を傾ける。
 空を見上げていた姫は、魔王の方へ悲しそうな顔をむけた。

「うーん、いつも空が泣いてる。魔王様も泣いてらっしゃるの?」

「は?」

 魔王は眼光鋭く、眉を寄せる。
 姫はそんな魔王の顔を見ても続ける。

「ずっとずっと泣いてらっしゃるのでしょう?」

「てめぇ、ぶちころ――」

 魔王の何とも言えない怒りは頂点に達し、椅子から勢いよく立ち上がったが、手をあげてはいけないと、ギリギリのところで抑えた。

「ぶちこ?」

 姫はどうしたのかしら?といった面持ちで聞き返す。

「……てめぇ、ぶちこって呼ぶぞ」

 発してしまった中途半端な言葉の責任をとるには、難しいものだった。苦し紛れの汗をかきながら、魔王はごまかした。
 その言葉を聞いた姫は、目を大きく広げ頬を膨らます。

「まぁ、私にはリアーナという名前があるんです。ぶちこではありません。ぶちころしますわよ」

「いや、お前が言うのかよ」

 魔王は、物騒な言葉だからと止めたのに、と自分なりの優しさを出したつもりだったが、あっけなくむけた相手に裏切られた。

「近隣諸国の王国になめられないよう、啖呵の切り方は学んでおりますの」

「怖い姫だな。今スウェットだから、ただの不良じゃねぇか」

 おもむろに姫はしゃがむと、膝に肘をあて、魔王を睨むかのように見上げて言う。

「喧嘩上等」

「姫がヤンキー座りすんなって」

「ねぇ魔王様、何を泣いてらっしゃるのですか?」

「その角度から喋んな。泣いてねぇよ」

 姫は心配そうな顔だった。



 「寂しいからに決まってんだろぉぉぉお。うわぁぁあ! どれだけの年月1人ぼっちで過ごしてると思っている! 泣きたくなるに決まってんだろ。そうやって心覗いてきやがって……いい。いいわー。いいわー。いいなー。リアーナ……。いいわー」

 魔王はいつも姫の表情や言葉に何かを揺さぶられていた。思い出せば出すほど、下唇を噛み続ける。受け取ったそれが何という感情なのか、彼にはずっと理解できなかった。



 ――こうやって我輩たちは、一緒に暮らし続けた。
リアーナには申し訳ないが、割とやばめのトラップを実は置いた。壁がゴゴゴゴーも置いた。この気持ちに整理がつくまで、このまま過ごしたいと思ったからだ。
 そして3年がたち、今日をむかえていたのだった。

 魔王は塔へ戻っていた姫を、部屋へと呼んだ。姫は足取りも重く、ふさぎ込んだかのように下をむいていた。
 沈黙を破ったのは姫だった。

「何ですの? 話って?」

「あの……リアーナ……」

 姫は少し大きくなった目を、魔王へとむけた。

「え? は、初めて名前で呼んでくださいましたね」

「あの…我輩も」

「教えてくれますの?」

 魔王は姫のまっすぐな目を見れず、恥ずかしそうに目を泳がせていた。

「あ、いや、えっと」

「やりますの?」

 あのときのように、姫はすっとしゃがむ。

「いや、やめてヤンキー座り。その角度の姫嫌なのよ」

「じゃあ教えて下さい」

「あの、交換条件にしないで――」

『ピンポーン』

 部屋にタイミングの悪いインターホンが鳴る。魔王も姫も驚いて、扉の方へ顔を向けた。

「チャイム? 魔王の城にチャイムついてるんです?」

「ああ、ついてる。鳴ったの初めてだ」

「魔王の城なのに? え、来客者なんて――」

「お前を、お前を迎えに来たんだろう、王子が」

 いつか、いつかそんな日が来るだろうと、魔王は思っていた。ただ3年もの月日がその気持ちをだんだんと薄めていき、やがて頭の片隅にしまっていた。

「え……」

「少し時間はかかったようだが、来てくれたのだろう。良かったじゃないか」

 魔王は声に力を入れ、気取られないよう必死だった。

「でも王子律儀にチャイム押します?」

「育ちがいいんだろう」

「いや、変ですよ」

「ほら、行けよ……早く出ていけ!」

 大きな声に、姫は後ろ髪を引かれながら、部屋から出ていく。
 魔王の声は抑えられない震えで揺れていた。
 姫の出ていった扉を見つめ、魔王は小さなため息をついてつぶやく。 

「俺は魔王、あいつは王女……。あいつ、スウェットで行ったなぁ……」

 呼応するかのように、雨音が大きくなる。
 魔王は窓の方を静かに見上げた。
 
 そのとき部屋の扉がガチャリと開いた。魔王はそちらを見る。姫は、ただいまです、と静かな口調で扉を閉めた。

「何してるんだ! 早くいけよ!」

 先ほどと同じくらい魔王は姫に怒鳴りつける。城内にきんとした声が響き渡った。だが姫は、しっかりと目を見て魔王に告げる。

「王子には、帰ってもらいました」

「はぁ? 何で?」

「会うなり、君に一目惚れをした、結婚してくれって言ってきて、中身見ないタイプって本当にないなって、がっつりふりました」

「はぁ」

「やっぱり、たくさん言葉を重ねていって、理解するのが愛じゃないですか」

「お前……」

 魔王はその言葉にどきりとした。その鼓動が瞳を大きくし、姫の目を見つめる。

「あと普通にタイプじゃなかったです」

「お前……」

 先程とは違う気持ちの、ふう、と息を吐き出すような同じ言葉だった。

「3年待ってあれは」

「そうかもしれないが、お前はお前のいるべき場所へ――」

「あと、やっぱり名前気になったし」

 姫は遮るように、早口で言う。
 魔王は照れて目を背ける姫に、改めて温かい感情を抱いた。そして姫に近寄り、同じ目線になるように少しだけかがんだ。

「大した名前じゃないぞ。我輩の名前は……」

 魔王は口に手を添えて耳打ちをする。
 降っていた雨はやみ、空は見たことのない青に輝いていた。辺りの森からは、緑の香りが風にのり、茨の道を駆け巡る。岩壁を照らしていた、雲の切れ間から覗く白い陽光は、徐々に傾き、オレンジ色の夕日となり眩しく城に差した。
 姫は言う。
「名前長ぁ……」

 姫も魔王も笑顔だった。




やおよろずの毎日/魔王と城と

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