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ひとりは嫌いで好き
帰省から一人暮らしの家に帰ってくると、なんだかとてつもなく寂しく感じる。
そうでなくても、賑やかなところから、しんと静まり返った家に帰ると寂しくなってくる。
「ひとり」を実感させられるからだろう。
そういう寂しさは、一瞬で吹き飛ばずに、じわじわ心を侵していって、ひと通りこちらの気持ちを沈ませないと、満足して帰っていかないから嫌だ。
と言っておきながらも、「ひとり」がないと生きていけないと思うのも事実である。
友達でも家族でももちろん一緒にいるときは楽しいのだが、その一方で1人になれる時間や空間も無いと気が休まらなくなる。
ひとりで、ただ自分だけで、自由にすることができることで、人から貰う安心感とはまた違った安心感や落ち着きを得ることが出来る。
一体、前者と後者の「ひとり」の違いは何なのだろう。
色々あるのかもしれないが、違いを感じる、大きな要因が1つだけあると思う。
後者の「ひとり」は、前提として自分の周りに人がいるということである。
「人といるorひとりでいる」という選択肢が選べて、人といることもできるけど、今は1人がいいからとひとりでいることを選択する。
だから、いつでも人といる空間に戻ることが出来るし、1人でいる時も他者がいるという安心を得られる。
前者の「ひとり」は、選べない。
人といる空間を選べないから、他者からの安心も得られないし、ひとりが嫌になっても人にすがることもできない。
だから、過剰に「ひとり」を感じてしまう。
将来というか、もう少し大人になって、家族と暮らさずに、あるいは新しい家族を作らずにひとりで生きることになったら?
とたまに考える。
ひとりであると思うと自由で安心だと思う一方でやっぱり怖い気持ちもある。永遠に孤独なのは怖いと思う一方でまた安心する気持ちもある。
ひとり論争はずっと平行線だ。
「ひとり」は時に私を怖がらせる。
「ひとり」は時に私に安心を与えてくれる。
だから私は「ひとり」が嫌いで好きだ。