
日本史。奈良時代の土地政策。
奈良時代の土地政策は失敗続きというか、なんというか、良くも悪くも、意味がなかったり、歴史を大きく変えるものでした。
まずは長屋王さんの、大失敗シリーズから。
土地政策の背景

人口の増加のわりに口分田(政府が人民に貸し与える田んぼ)が不足していた。※口分田は死亡したら政府に返却義務あり(=公地公民制)
口分田を農民に貸し与えても出挙(すいこ)などの税が重くて浮浪・逃亡が続出し、結局、荒れ地になってしまっていた。
口分田の不足で満足に税収が得られず政府の財政もひっぱくしていた。
口分田用の田地が不足していて、新たに出生した6歳以上の男女に口分田を支給するのすら満足にできていなかった。
「急いで口分田を増やさんといけん!」
失敗①百万町歩開墾計画

はい、失敗すべくして失敗した、悪手中の悪手です。
農民の意欲をかきたてるような具体的な施策もなく、単に、スローガンをかかげたイメージ。
内容としては、
日本の荒れ地、全部開墾しちゃお☆
的な感じ。
「そりゃ無理だろ!」
もはや、どこからつっこんでいいのかわからないレベルの愚策です。
詳細解説は↓↓↓
失敗②三世一身法

別名、養老七年の格(きゃく)。
はい、これも失敗します。
ただ、長屋王もバカではなかった。
今回は、百万町歩開墾計画の失敗にならい、農民のモチベーションをちゃんと考慮した政策ではありました。
「新たに灌漑施設をつくり(水路などを整備し)開墾した(田地を設けた)者には、3代の土地私有を認める!」
「本人-子-孫」の3代なのか、「子-孫-ひ孫」の3代なのかは、いまいちわかっていません。
ですが、せっせと土木工事をして、灌漑施設(水路)をつくり、荒れ地を開墾し(耕し)、立派な水田をつくれば、少なくとも子供と孫にその努力を継承することができます。
でも、最後の人(3人目)はやる気なくしますよね。
詳細解説は↓↓↓
みんな知ってる!墾田永年私財法!
簡単に言えば、新たに開墾した田地(=墾田、こんでん)の永久私有を許可した。
その結果…。
豪族や寺社などが、逃亡した農民とかを積極的に雇って、どんどん墾田をつくり、大規模私有地(初期荘園)を形成します。
これにより、律令制、公地公民制は大きく動揺します。
とはいえ、近年の日本史研究では、そもそも唐からパクってきた、律令制には、墾田保護の規定がなく、橘諸兄(たちばなのもろえ)や吉備真備(きびのまきび)、玄昉(げんぼう)といった政策決定の中心メンバーは、墾田の保護に関する立法で、律令の補完を意図したのでは?とも考えられています。
いずれにせよ、墾田永年私財法により、荘園(大規模私有地)が登場し、日本の歴史は大きな転換期を迎えます。
以上、みず(@mizuxyz99)@たまには解説記事、でした!
あわせて読みたい
いいなと思ったら応援しよう!
