珈琲とモーニング。心の洗濯。
"今日は、どのお店のモーニングに行こうかな?"
数年前からコーヒーが大好きになり、時間を見つけては喫茶店やカフェに向かうようになりました。
特に、トーストやサンドイッチとの組み合わせが好きで、朝型の生活をしていることもあり、モーニングの時間帯に訪れることが多いです。
五時に起きて、あれこれと家事をしていると、十時過ぎにはおなかが空いてしまうのですよね。
喫茶店のモーニングに出会ったのは、十代後半の頃。
大分県から大阪府へ引っ越したばかりのある日、母親から、"今日は喫茶店で朝ごはんを食べよう"と誘われました。
そのとき、"朝ごはん、お店で食べるの?"と、とても驚いたのを覚えています。
というのも、子どものときに暮らしていた家の近くには、喫茶店やカフェが無かったのです。
(ちなみに、自宅からいちばん近いスタバに行くには、車で一時間ほどかかりました。)
街中まで車を走らせれば、もちろん、お店はあったのですが、気が向いたときにふらりと訪れる、という距離ではありません。
そんな環境で育ったので、喫茶店でモーニングを食べるという習慣がなく、"朝食=家で食べるもの"だと思いこんでいたのです。
誘われて向かった先は、住宅街の中にある小さな昔からながらの喫茶店。
トーストとサラダとゆでたまご、それにコーヒーというシンプルな朝ごはんも、窓から差し込んでくる朝陽を眺め、常連さんと店主の方が交わす会話に耳を傾けながら味わうと、"お店で食べる朝ごはんって、なんだか特別な感じがするな"、と思いました。
その後、名古屋市に引っ越してからは、自宅から歩いてすぐのところにコメダ珈琲店があり、モーニングに行く習慣が自然と身につきました。
(今でも、小倉トーストが食べたくなると、コメダに足を運びます)
早朝に訪れると、ひとりで来られている方が多く、店内は落ち着いた雰囲気です。いつもほど良く席がうまっていて、新聞や雑誌を広げて思い思いにくつろがれている様子を見るのも好きでした。
以前の記事でもすこしふれたのですが、名古屋に住んでいたころは、休日は家にこもりがちで、積極的に出かけることは少なかったです。
喫茶店で過ごす時間は好きだったけれど、家族と行くことがほとんどで、ひとりでコーヒーを飲みにいくことは稀でした。
それががらりと変わったのは、京都で暮らすようになってから。
いたるところに、さまざまな喫茶店やカフェが存在するなかで、とりわけて心を惹かれたのは、本がたくさん置いてあるお店でした。
コーヒーの香りが満ちる静かな場所で読む本は、より深く心に沁みるように感じられるもの。
京都に来たばかりの頃、とあるブックカフェで本を読んでいた時に、不意に"今、幸せだな"と、くっきりと感じた瞬間があり、その日から意識的に(本が置いてあるかどうかに関わらず)喫茶店やカフェをめぐり始めたのです。
それはまるで、種を撒き、芽ぶき始めたていた"好き"という気持ちが、花を開いたかのような瞬間でした。
はじめの頃は、ひとりでお店に入ることに緊張したものですが、慣れると肩の力も抜けていき、帰りぎわにお店の方に、"美味しかったです"と伝えられるまでになりました。
いつしか、家にこもりがちだったのがまるで嘘のように、お休みの日のたびに、コーヒーとモーニングを求めて、まだ訪れたことのない場所に足を運ぶようになったのです。
文庫本を鞄に入れたら、出発です。
ふんわりさっくりとしたトースト。
スクランブルエッグも良いし、ゆでたまごも好き。
ベーコンやウインナーが付いているのもうれしいな。
トーストも好きですが、サンドイッチも好きなのです。
朝からたまごサンドが食べられた日は、その日いちにち幸せな気持ちで過ごせます。
朝の光はやわらかく、店内にも穏やかな空気が満ちています。
窓から通りや坪庭を眺め遣り、コーヒーカップを両手で包むように持つと、じんわりと温もりが伝わってくる。
コーヒーの香りを楽しみながら、ゆっくりと食事をしていると、"心の洗濯"ということばが頭に浮かぶのです。
きっと、美味しいものを食べ、馥郁としたコーヒーの香りとまろやかな苦みを味わう瞬間は、"今、ここだけ"に集中することができるから。
慌ただしい日々の中で、気持ちがくすんでしまうことがあっても、そんな時間を過ごすことで、心をまっさらな状態にもどすことができるのです。
実は、去年の夏以降から、転職や引越し、家族と自分の体調不良なども重なり、モーニングに行くことが少なくなっていました。
暮らしも落ち着き、ようやく秋らしくなり、ホットコーヒーの美味しい季節になったこの頃は、喫茶店めぐりの再開にちょうど良い時期。
今日は、まだ訪れたことのないお店へ向かう予定です。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。 あなたの毎日が、素敵なものでありますように☺️