虹のような儚い煌めきを、伝えるように。
先週の木曜日に記事を公開してから、今日までの一週間のあいだに、何度か記事を書こうとしたのですが、そのたびに手が止まってしまいました。
書きたくない、ではなく、書くことが思い浮かばない、でもありません。
怖い、と感じてしまったのです。書くことが。
きっかけは、先週書いた喫茶店のモーニングについての記事が、note公式マガジンの"今日の注目記事"に選ばれたこと。
このマガジンに選ばれたのは今回が二度目なので、どの程度の反響があるのか、何となく予想はしていました。
けれど、予想を超えるスキの数と、伸びていくフォロワー数を見ていると、うれしさと有難さを感じる一方で、
戸惑いと怖いという気持ちが、強く現れました。
スキの数、フォロワー数は単なる数字ではありません。
画面の向こうには、日々を生きている"人"がいて、記事が読まれるというのは、その人の時間を頂くことだという感覚があります。
だからこそ、数字の多さに対する感情が、単なる喜びにはならず、怖さも入り混じってしまいます。
けれども、その"怖さ"は、初めて感じたものではなくて、感じ続けていたのに、ずっと見て見ぬふりをしていた感情なのだと気がつきました。
文章を読んで下さった方から、
「癒されました」「優しい気持ちになりました」という感想を頂くとき。
または、記事の中で紹介した本を「読んでみます」と、言って頂けたとき。
そんなときは、書いて良かったな、うれしいな、と思って…、その気持ちに嘘は無いのですが、心の底の方に、うっすらと"怖い"という感情がある。
茜色の夕映えの空に、宵闇がしのび寄ってくるような、心の中の薄墨色に、目を向けないようにしていたのです。
自分の書く文章が、誰かの気持ちや行動に影響を及ぼしてしまうことに、怖さを感じてしまいます。
誰かの心を震わせることができる、ということは、裏を返せば、誰かの心を深く傷つけることができ得る、ということの証左でもあるからです。
noteをはじめたばかりの頃は、自分の気持ちを表現したい、という気持ちが前にあって、画面の向こう側にいる
"読む人"の存在を、それほど意識していなかったのだと思います。
だから、"届けたい。伝えたい"という気持ちが、今よりも希薄でした。
書き続けていくうちに、コメントでことばを交わすことで、自分の気持ちを受け止めてくださる方の存在を意識するようになります。"気持ちが届いた"と感じられる瞬間も次第に増えてきて、そのことに喜びを見出してもいました。
けれども、届くと良いな、と願うようになりながらも、届いてしまうこと自体に、怖さを感じるのです。
自分の書く文章の内容は楽しいものばかりではなく、過去に受けた傷や、苦しかった出来事についてもふれています。同じような経験をした方が読んだときに、痛みを感じるような文章になっているのでは、という不安。
そして、言葉で深く傷ついた経験があるということは、言葉で人を傷つける方法を知っている、ということでもあり、"知っている自分自身"への畏れも、ある。
明るい感情にばかり目を向けてきたけれど、知らぬ間に、わたしは、誰かを傷つけているのでは?
画面の向こうにいる人に思いを馳せるとき、そんな疑問が浮かびます。
ですが、内容の如何に関わらず、誰も傷つけない創作など、きっと無いのでしょう。
それは創作や表現、に限定されるものではなく、実際の人間関係でも同じこと。
どんなに思い遣っていても、傷つけあうことを回避することはできなくて、でも、それを恐れてばかりいては、人は人と関わりあうことができません。
関わらなければ、喜びやうれしさを共有すること、お互いの気持ちに共感することも、あり得ない。
風が吹けば、木の葉がそよぎ、水面がさざなみ立つように、自分の表現が、誰かの心に影響を及ぼすのは、自然なこと。
その考えに至ったことで、ことばを紡ぎはじめることができました。それに、傷ついた経験があるのならば、誰かの痛みに寄り添うこともできると、そう考えれば良いのかな、とも思えたから。
だからといって、怖いという気持ちは手放せないです。
その気持ちを無くしてしまうと、どんな美辞麗句を書き連ねても、その文章は生命力を失い、空虚で乾いたものになってしまう気がします。
熟した果物を手のひらにのせるときに感じるような、確かな重みのある文章を、わたしは書いていきたい。
喜びや楽しさ、うれしい気持ちは、虹のような儚い煌きに似ていると感じます。
永続的なものではないからこその、美しさがある。
虹が架かる景色を描くならば、その前の雨の情景を描くことも避けられないでしょう。
雨滴のつめたさに心が暗くなってしまったとしても、雨が止み、雲間から光が降り注いだ瞬間、世界は彩りを取り戻す。その刹那を共有することができたなら。
虹が架かっているのを見て、その美しさを伝える為に、
「見て、虹が出ているよ」
と、誰かに声をかけるように、自分が好きなものや素敵だと感じたものについて、これからも書き綴っていこう。
その気持ちを、見失わずにいたいと思うのです。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。 あなたの毎日が、素敵なものでありますように☺️