好きかわからないけど、あなたより長生きしてお葬式の喪主をしたかった

私は「好き」という言葉を、他人より重く考えすぎなのかもしれない。

小学校低学年の頃は、好きな人を作りたくて
あの人を好きな人にしよう、なんて決めて
黙っていられないからとすぐに友達やお母さんに言った。
小学生高学年になると、誰にも言わない好きな人ができた。告白したい訳でも、今以上に仲良くなることを望む訳でもない。どこが好きなのか具体的な理由も、好きになったきっかけもわからない。でも確かに胸がドキドキして、これが恋なんだと教わらずともわかった。

中学生になってから、恋に臆病になった。
好きな人が欲しいけど、誰を本当に好きなのかわからない。
勉強に部活に習い事に、日々を忙しく過ごしながら、人間関係のストレスに揉まれながら、ときどき心に僅かに浮かぶ問いかけ。
答えがわかったのは、卒業式が終わった帰り道。
お別れの後に自覚してしまった感情は、どうすることもできなくて。絶対に叶わない相手だからこそ、誰かに打ち明けることもはばかられた。
手紙を読んだり、音楽を聴いたりしては感情移入して泣いて、初めての失恋を存分に引きずった。

高校1年の4月は、授業が全く頭に入らなかった。志望校に合格できたのに、頑張る理由を失ってしまい、次の目標も見つからなかった。新しい環境のストレスも加わり、蕁麻疹が出たり冷房で凍えて腹痛が続いたり吐いたり。5月に入ってから、少し楽になった記憶がある。
高校2年の夏、気になる人ができた。同じクラスなのに出席番号も遠くて、全然接点もないのに、見ているだけでどんどん好きになってしまった。
誰にも相談できない時間が続いて、やっと相談できてからは、初めて自分の恋が存在を認められたような気がした。
ドラマや少女漫画の見過ぎと中学の失恋の辛さから、今回の恋も何もできないまま死んでしまったら、きっと成仏できないだろうと思った。
同じクラスだけでも奇跡だ、接点がないなら作ればいい、行動せずに後悔するのは嫌だ。
高校2年のバレンタインの日、模試が終わって帰ろうとする彼の背中を追いかけて、初めて本命チョコ(正確にはチョコではない)を渡した。
翌日、彼は一向に私に声をかけてこなかった。
突然のバレンタインに困った彼が友人に相談して、変な噂をされているのではないか、なんて妄想して、1人で机に突っ伏して落ち込んだりした。
放課後になって、彼が声をかけてくれた。
あの会話の時間ほど、幸せな瞬間はなかったと思えるほど嬉しかった。
それ以来、自分からおはよう、お疲れ様、と声をかけたり、LINEをして好きなバンドを教えてもらったり、どうにかこうにか初めて自分からプッシュした。声をかけれなくて悩んだり、他の人と楽しそうにしていたら嫉妬したり、青春らしい時間を味わった。
結局、いつも私から何かするばかりで、彼から何かしてくれたことはなかった。
センター試験の直後に彼は彼女を作り、私は失恋した。
2人がいる姿を見るのが辛くて声を聞きたくなくて、目も耳もいらないとすら思った。
最後は自分で終わらせようと思って、振られるためにバレンタインに告白した。
心の中や友達には散々言えた「好き」を言えなくて、ずっと片思いしてました、と言った。
後悔したくなくて告白という形を取ったけれど、引きずるものは引きずる。
それでも、人生で初めての告白をした自分の勇気を讃えたい。
何より、独りよがりな片思いをぶつけられた彼が茶化したりしなかったことに感謝しかない(彼の友人の男子によく相談に乗ってもらったが、私の話をネタにしたりすることもなかったようだ)。
卒業式の日に撮ってもらった彼との写真は、今までで1番可愛い私が写っていた。
いい恋をして、あまりにも切なくて甘い青春と言える思い出があれば、この先もずっと生きていけると思っていた。
大学卒業後は独身でバリバリ働いて過労死したい、なんて言っていた。

実際には、思い出だけで生きていくことは難しい。
大学生になり、恋愛もしたくてコミュニティを選んだ。
男慣れしていない私は、新歓や大学生のノリに動揺した。それでも、メイクをするようになって明らかに周りの目が変わり、初対面の時から可愛い子として認識され、扱ってもらえることが増えた。
とはいえコミュ力が高い訳ではないので、自分から男子と仲良くするのは時間がかかった。
周りから○○といい感じじゃない?と言われた時は、乗せられてその気になっていったし、人生初のデートもした。
クリスマスのダブルデートで観覧車に乗り、友達止まりが確定した時、私は好きだよとは言えなかった。あまり好きにならない方がいいタイプなのはわかっていたし、友達からも反対される人種だったので、それ以上進展しなくてよかったと今なら思う。その後もなかなか縁が切れなかったが、最後までやっぱり、やめた方がいいタイプだった。流されながらも、道を踏み外さなかった自分は正しかった。

大学生にもなると、周りはどんどん彼氏ができる。
ペアを作って試合に出るサークルなのに、ペアができず彼氏もいなかった大学2年の1年間、いったいどうやって1人でメンタルを保っていたのか記憶にない。豆腐以下で、友達に泣きつき先輩に励まされながら1日1日を必死に乗り越えた。周りはペアもいて彼氏もいて、なぜ私はどちらもないのかと落ち込んだ。それでも自暴自棄になって変な人に流されないのは、私の褒めたい所だ。

大学3年、ついに好きな人ができた。
そんなに関わりが多い訳ではなかったが、直属の後輩になりもっと仲良くなりたい、思い出を作りたいと私からプッシュした。無事に彼を落とすことに成功し、お酒の勢いに助けられて付き合うことができた。
人を好きになった最初は、ただただ相手を目で追って、相手が愛おしくてたまらなくて、他の人に取られたくなかった。
プッシュしたのは私だけど、告白は彼がしてくれた。それから4年以上、互いに様々な苦難はあれど、仲良く楽しく過ごせていた。
意図せず彼を怒らせてしまった時、私は最終的に彼を優先し、切った縁があった。
彼がどん底に落ちた時も、決して見捨てない、私にできることを考える、一緒に生きていく、と思っていた。

去年の秋、紅葉を見にいこうにも予定が合わなかった。
学生の彼と社会人の私で、中距離を会いに来てくれてご飯も食べるけれど、泊まると翌日の午前が無駄になるからと夜の時間を一緒に過ごさなくなった。
彼が宝塚を観たい、いつでもいい、というので必死でチケットを取ったら、その日は母親とライブに行く、まさか被るとは思わなかった、と言われブチギレて危なかったが、彼との関係がこんなことで揺らいではダメだと私が引き留めた。
互いの趣味は尊重してきたはずなのに、私がクリスマスに仕事→バレエ鑑賞→推しの配信を見て疲れてしまったら、勝手に不機嫌になり、別れ話をされると思ったと言われてこっちが驚いた。

私としては、昨年の秋〜冬はメンタルが落ちていた。私が小3から見続け共に生きている宝塚で、歳の近い生徒が自殺したことは、とてもショックが大きかった。大好きな推しが突然の退団発表をした。25歳までに転職する目標を立てたが、行きたい会社の求人が募集していない。かつての友人が結婚ラッシュに突入し、周りと比較しまくる私は焦る。祖母に結婚式に来て欲しいしひ孫も抱いて欲しいのに、病状が悪化している。
自分ではどうにもできないことも重なり、1人で追い込まれ、誕生日も祝う気分ではないと断った。
4年の交際期間で築いた信頼関係で、自分の気持ちに素直になっても受け止めてくれると思っていた。私も自分のことでいっぱいいっぱいで、彼のことを考える余裕もなかった。

どん底に落ちた私に、彼は寄り添おうとしなかった。
「まだ俺のこと好き?」と自己中心的な質問をぶつけられ、私は好きとは返せなかった。 
お互いの理想の生活が違うから、相手は俺じゃない方がいいと思う、みたいなことを言われた。
色々話したけれど、1月の寒い屋外に長時間いたせいで私はすこぶる冷えて体調も悪くなったし、トドメに宝塚に行く日に研究室が入ったと悪びれるそぶりもなく言われ、それまで泣かなかったのにブチギレて泣いて帰った。

私はかつて、推しの退団を嘆いていた時に
「私その人好きじゃないんですよね」
と言われて大変傷ついたことがある。
痛みをわかってくれると思った人に裏切られるのはつらいが、痛みを全てわからずとも、相手を傷つけないよう言葉を選ぶことはできる。
相手の好きを否定しない。
そう思って行動しているのに、彼は私の好きで大切な宝塚をどうも雑に扱ってくる。
他にも色んなひっかかりはあるが、宝塚が何よりも私の怒りを爆発させ、彼がどうでもいい存在になってしまった。

彼と最後に会ったのは、研究室を休んで宝塚に一緒に行った日。
その日に塗ったネイルがOSAJIのわかれ道だったことは、偶然にしては出来過ぎだと思う。
(ただスカートの色に合わせて選んだだけ)
母親の待つライブに向かう彼の背中を見えなくなるまで見送ったのが、本当の最後。
LINEも途絶え、彼のインターンも始まり、関係をどうするか考えなくてはならない時間、私はあまりのしんどさに現実逃避に走った。

結局、私は向き合わなくてはいけない問題を無視し、怒りに任せてLINEで別れようと言った。
別れて半年が経とうとする今、向き合わなくてはいけなかった点を深掘りし始めた。

彼のどこが好きだったのか、私はうまく言えない。
顔がタイプでもないが、生理的に無理でもない。
性格も嫌いな訳じゃないけど、その性格のせいで不安なことはあった。
してくれて嬉しかったこともあるが、嫌だったけど言えなかったこと、飲み込んだこともたくさんある。
自分さえ我慢すれば、この関係はうまくいくと思っているところはあった。

私はきっと、彼を好きな理由がうまく言えないから、自分から好きと言えなかった。言葉に自信がなかった。
好きに理由はないという言葉もあるけど、
本当に好きなものは
ここが好きって言える
なんて言葉もある(ちふれの広告より)

今年の冬頃はいろんなことがあった後のまだ引きずっている頃で、冷静に気持ちを整理できなかった。その時に自分の思っていることを言っていないのに気付かず、相手と話し合いができないと思い込んだまま怒りに任せて別れたことは仕方ないとも思う。

ただ、8月に元彼が
春ごろに新しい彼女ができてすぐ別れていた
という話を聞いてからあらゆる感情がやっと動き出し、気持ち悪さと戦いながら自分の感情を、言葉を探し続けノートに綴ったりスマホにメモしたりした。
そうしてやっと、最近思いついたのが

この人より長生きして、お葬式の喪主をしたかった。

でした。
家族より友人が大切そうな彼だったけど、自分に何かあった時に最終的に頼れるのは、やはり家族だと思う。喪主ができるのは配偶者の、家族の特権だ。祖母のお葬式で、喪主だった祖父が祖母のことを「私の○○」と呼んだことも、私にとって印象に残っていた。
喪主ができる権利を持つ家族になることが、最大の愛の証だと思った。
周りの結婚に焦る私に、少しでも安心させる言葉と行動を示してほしかった。
彼がどん底に落ちた時に私は見捨てなかったのに、私が落ち込んだら寄り添ってくれなくて悲しかった。
私の大切にしているものを、踏み躙るような言動を許せなかった。

今になって、伝えなかった思いが言葉になりつつある。
ただ、賞味期限の切れた言葉を今更届けるのは自己満足に過ぎないし、伝えなかった責任を背負ってこれからの人生を生きるべきだとも思う。

それでも、好きを器用に伝えられないなりに
愛を持っていたことだけは
私だけが知っている事実だ。


ペンでノートに書くより、ここに文字を入力する方が早いかなと書き始めてみたが、やっぱり着地点がわからない。
明日は久しぶりの観劇なので、そろそろ寝る準備をしないとですね。
ここまで読む方は滅多にいないと思いますが、もし辿り着いてくださった方は、貴重なお時間をありがとうございました。

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