「護られなかった者たちへ」 しっかりした演出の中、演者がテーマを明確に映し出した秀作
瀬々敬久監督の作品、今年は「明日の食卓」に続いて二作目。前作でも、シングルマザーの困窮の姿を力強く濃厚に描いていた。今、映画に「人の叫び」みたいなものを、明確に映し込める数少ない演出家である。そういう期待の中で本作を観た。
舞台は、東北大震災の被災地に親族を探す風景から始まる。そして、9年後に起こる殺人事件。現実と過去をドラマが行き来する中で、最後で人の恨みが消えないことと、それを行動に起こすことの虚しさを描き切る。誰のせいでもない自然災害の不幸。でも、そこから立ち上がるときに人が人を間引きするような行為に対するメス。そして、自己犠牲の上に他人を助けようとする人の優しさ。その中の様々な葛藤。かなり濃厚なメッセージが組み込まれている。
映画として秀逸なのは、この現在と過去を行き来する流れがとてもスムーズなことだ。繋ぎが上手いというか、観客の脳裏に自然に主人公たちの脳裏の過去と未来が映し出されるような演出は見事だ。こういう、社会性を帯びたメッセージを熱く映画にできる監督として瀬々監督は日本映画に欠かせない。今年の二作も、現在の日本の辛さを映像に見事に紡いだ秀作だった。
阿部寛、佐藤健、倍賞美津子、清原果耶、この四人の俳優たちの心根が見事に有機的に観客に刺さってくるのは辛いが、この今の時代を描く上では、こういう演技が必要だと納得はできる。
それに対し、生活保護を担当する公務員たち、吉岡秀隆、緒方直人、永山瑛太の三人の、自分の立場で仕事をして、わかっていても、時に激昂されてヘラヘラしてしまうような演技、いや、それ相当の加害者になっているとは気づかない演技もまた秀逸であった。あくまでも、公の機関の行うことは、人の気持ちの奥底に入ってはいかないのだろうか?そう、だから、現実に生きる人々は自分の弱さにまた弱ってしまう。民主主義だと言っても、面倒くさい人々は、ただただ報われない仕組みであることがここに明確にされる。
ある意味、2時間超のなかに、地震津波の恐怖から、近親者を亡くした辛さ、生き残った者たちへの気持ち、そして多くのどこに持っていいかわからない怨恨が詰まっている映画だ。我々は、この気持ちをどこに持っていくでもなく、未来を見つめるしかないのだが、本当に、何度自然災害を経験しても、そういうものをちゃんと処理できない国のやり方にはやはり納得はいかない。本当、選挙の前に見ていただきたい映画でもあったりもする。
ここで重要な役であり、最後には驚かされる清原果耶。多分、この映画を撮ってから、今の朝ドラ「おかえりモネ」の撮影に入ったと思うが、テーマ的にはとても似通っているのに驚かされる。そういう意味で、清原の中で、どういう化学反応が起こって、今の朝ドラに挑んだか?ということが非常に気になったりする。彼女にとっても、この話のように結論が出ていないことを朝ドラでもう一度考えてるみたいな部分もあるのだろう。ある意味、暗めの演技が上手い役者さんであり、だからこそ、笑顔のシーンが印象的であったりもする。朝ドラは、思いっきりの笑顔で終わってほしかったりもする。
話が逸れた。今年は震災から10年の節目であった。そういう観点から見ても、この映画が今公開されて、それなりの人に見ていただけるのにはすごい意味がある。そして、ここにある国の政策の矛盾やあり方は、コロナ禍の今もまた同じように人を苦しめたりしたりしているはずだ。見終わった後で、そういうやるせない気持ちがシャワーのように降ってくる映画であった。最近の日本映画が忘れかけている、社会性をなかなかすごい熱量でぶっ込んで見せてくれる瀬々敬久監督作品、次回作が楽しみである。