声をかけてもらえない怖さ
ひと昔前は、ケータイやスマホがない時代で、誰も彼もが街中を歩くときは、周りが見えていた。
その時代は、休みの日などにブラブラ歩いていると、後ろから同僚や近所の人に声をかけられることがあった。
逆に、自分のほうから気づいて、声をかけに行くこともあった。
今の時代は、電車やバスの中でほとんどの人がスマホを見ていて、歩きスマホをしている人も少なくない。
これはどういうことかというと、それだけ周りが見えていない人が多くなっているということである。
つまり、もしかしたら、あなたが知らないだけで、誰かに休みの日の行動を見られている可能性がある。
おしゃべりな人は、「昨日、◯◯で見かけたよ。」とか言ってくるのだが、最近は昔ほどそんなふうに声をかけられることも少なくなっている。
それがどうしたとか言う人がいるかもしれないが、知人ならまだしも、もし知らない人に目をつけられていたとしたら、電車やバスの中だったり、歩いているときにスマホに夢中になっていたら、自分の家や帰り道、休日に出かける場所などを知らないうちに把握されている可能性がある。
スマホで写真を撮られているかもしれない。
職場も、昔ほどアットホームな雰囲気の職場は減ってきており、仕事仲間といえどもプライベートでは赤の他人というのが当たり前の感覚になっている。
そんな人にも、人混みの中からとか遠く離れたところからひそかに見られていたとして、「昨日見かけたよ」という声すらもかけられなかったらどうだろうか。
スマホに夢中になっている場合ではないことが分かるだろう。
通勤時や帰宅時は、だいたいどういった人が自分と同じ時間帯にいるのか気をつけて観察したり、電車やバスの中でスマホをずっと見ているのではなく(読書もそうだが)、ときどき顔を上げてみて、自分のほうを誰かが凝視していないかどうかを確認したりするのも大切である。
また人通りがまばらなところでは、背後をなるべく気にするようにして、自分と同じ方向を歩いている怪しそうな人がいたら、歩速をわざと緩めてみたりするのが良いだろう。
よく怖くて小走りになったり早足になったりする人がいるが、逆効果である。
結局、自分の行き先を突き止められるからである。
立ち止まってもいいから、相手を牽制するのである。
私の場合、ユーチューブを開いて、音量マックスで踊ってみようかというくらいの心の準備ができている。
不審者には、こちらも不審者で向き合う。
それがいつでもできるようにするためには、日頃からカッコつけてないで、自分のプライドなんか捨てて生きるくらいの覚悟がちょうどよいのである。