古典100選(69)語意考
今日は、本シリーズ第48回以来の賀茂真淵作品の再登場である。
第48回では『歌意考』を取り上げたが、今度は『語意考』を紹介しよう。
文字どおり、ことばについての考察である。
では、原文を読んでみよう。
①言便(ごんびん)の濁りは二言を言ひ続くる時に必ずあり。
②そもまた、「海河(うみかわ)」「山河(やまかわ)」「我人(われひと)」などの類は、かれこれをただ並べ言ふゆゑに濁ることなし。
③「山之川(やまのかわ)」の「の」を略(はぶ)きて「やまがは」といふには「かは」の「か」を濁る。
④「浦之人(うらのひと)」「山之人(やまのひと)」を「浦人(うらびと)」「山人(やまびと)」と言ふ時も「ひ」を濁るは、皆これなり。
⑤また「山之風(やまのかぜ)」をも「山風(やまかぜ)」といへど、こは下に「ぜ」の濁りあればゆずりて「か」を濁らず。
⑥この類もあるなり。
⑦およそ言便の濁りをよく心得ることは、年経つつ心を用ゐざればかなはず。
⑧しかるに平言(つねこと)にはおのづからこの言便の清濁を誤るはまれなり。
⑨よりて平言に心をつけて思ひ知るべし。
⑩すべての言も平言に古言(ふるきこと)多し。
⑪ただ古書(ふるきふみ)にのみ古言、雅言(みやびこと)はあると思ふことなかれ。
⑫しか心得てまづ書の言を通り知りてのち、平言に心を置き心得ば、よろづ足りなん。
⑬「うれしき」を「うれしい」、「かなしき」を「かなしい」、「うれしく」を「うれしう」、「かなしく」を「かなしう」、「くらくして」を「くらうして」、「からくして」を「からうして」などの類の「き」を「い」と言ひ、「く」を「う」と言ふはみな平言なり。
⑭雅言には必ず「かなしき」「うれしく」と言へり。
⑮後世といへども、歌にはこの平言は言はざるを、文には誤る人あり。
⑯そは物語文によりて誤るめり。
⑰物語文は、昔昔の跡なし話なれば、平言を専らと書くが中に雅言をも交ヘしなり。
⑱よりて、雅文(みやびぶみ)を書く人、この心せで、さる物語の言をみだりに取るはひがごとぞ。
⑲また、『古事記』『日本紀』、その外の古書を訓(よ)むにはみな雅言を用うべきに、今の訓には平言も交れり。
以上である。
だいたい意味は分かったと思うが、賀茂真淵の言いたいことを、次のようにまとめてみた。
例えば、「ありがたいお言葉」というのは、日常語(=平言)であるが、「ありがたきお言葉」というのは格式ばった表現(=雅言)である。
物語文の中に、平言と雅言が交じっていることがあるが、雅文を書くなら「雅言」だけを使うなど、どちらかに統一せよと言いたいのである。
現代の私たちに当てはまることは、常体(=である)の文と敬体(=です、ます)の文を混在させるなということである。
私のnoteの記事は、常体で統一しているが、たまに「よろしくお願いします」など敬体が交じることがある。
ところで、「よろしくお願いします」を常体で言うとどうなるだろうか。
「よろしく頼む」と、昔はよく言っていた。